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精神分析家「しんどうまき」のブログです。ご相談は090-1951-1978へ

2014/01/25(土)
「364)愛―母の笑顔が無上の喜び」

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

今日は、「愛―母の笑顔が無上の喜び」 について考えてみます。

子どもは母の笑顔が見たい。そのためにはどんな我慢だってする。
母の喜びは自分の喜び、母の仕合せは自分の仕合せと思う。
母がいつも笑顔で、自分の傍にいてくれたなら、、、、、
それは無上の喜びである。
それがすべての子どもの願いであり、仕合せである。
このようなことを考えてみたいと思います。

「あなたの喜びはわたしの喜び」
「あなたの仕合せはわたしの仕合せ」
このような表現を聞いたことがあると思います。
例えば、相思相愛の二人もそうでしょう。
愛し合う関係です。
これを鏡の関係といいます。

母が仕合せだったら、甘えられたのに、わがまま言えたのに。
母の笑顔が見たくて、冗談を言っておどけて見せた。
母が少しでも喜ぶように頑張ってきた。
母が仕合せじゃないのに、自分が仕合せになることはできない。
このように語った人達がいます。
これらは絶えることのない願いであり、子どもの心から片時も離れることのない想いです。
禁止されてもなお、心の深奥にくすぶり続けるやっかいなものでもあるようです。

母は何かを求めながら、未だ手にしていないと思ったから、
その何かを自分が与えたいと願う。
その母への想いが後に、他の人やものに置き換わっていかざるを得ないとしても、
心の根底では決して消え去ることはないといわれます。
この母への絶えることのない熱い想いを「愛」と呼ぶにふさわしい気がします。
もし、子どもが母にとって都合の悪い子だったとしても、
もし、子どもが反抗し、無理難題を突きつけたとしても、
もしかしたら、母への想いが届いていない、理解してくれていないとのメッセージかもしれません。
この想いが少しでも母に届いたなら、
そして、少しでも母が理解しようとしてくれたなら、
わたしはどんなに仕合せになることだろう。

母へのこの想いが、やがては他者への想いへと広がっていくなら、何て素晴らしいことでしょう。
あなたの喜びは、私の喜びであり、
あなたの仕合せは、私の仕合せとなる。
そして人はそれを「愛」と呼ぶでしょう。

あなたには愛する人が居ますか。
あなたを愛してくれる人がいますか。

最後にシェークスピアの『ジュリアス・シーザー』の中のブルータスの言葉を引用したいと思います。

『シーザーが私を愛したので、彼のために涙を流す。
彼が仕合せだったので私はうれしい。
彼が勇敢だったので、彼を尊敬する。
しかし支配欲が強かったので、彼を殺した。』

シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/

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