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クリニックの日記

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2018/07/23(月)
「災害と伝統の躓き」

 先ず西日本7月豪雨で亡くなられた方々のご冥福と被災者の復興を心からお祈りする。
 さて猛暑、炎暑、酷暑と、いくら言葉を並べても、身体の受けている嫌さを言い尽すことはできない毎日だ。涼しい部屋に逃げ込むと、TVには豪雨災害の跡片付けに汗を流す人達が・・・「暑い」は禁句!口を噤む。
  写真帖泥と掻き捨て汗みどろ 明寛
 毎年の豪雨災害、自然災害といえばそうだが、気象学の視点からは人災だ。どこかの大統領は否定するが、石炭など化石燃料使用による地球温暖化が要因だから。災害は戦争、虐待、通り魔殺人などと同じように説明のつかない、理解できない不条理なことだ。人類史上不条理な事は、ギリシャ神話のシーシュポスの懲罰のように繰り返されてきた。シーシュポス神話を要約すれば「ゼウスの怒りに触れたシーシュポスが懲罰を受けた。その懲罰内容は、大きな岩を高い山の頂上まで運ぶのだが、運び終えると岩は山を転げ落ちる。シーシュポスは麓まで降りて、また岩を持ち上げる。持ち上げ終わると岩はまた転がり落ちる。シーシュポスはまた麓まで降りて、岩を持ちあげる。これを繰り返すという懲罰だ」。この懲罰は未来永劫続く、まさに絶望と孤独しか見いだせない時間の流れだ。シーシュポスは神だからひたすら耐えられるのだろう。しかし人は弱い存在、耐えるのは無理だ。
 不条理をどう乗り越えるのか?とても難しい課題だけど、今の地球環境、今の社会情勢を冷静にみると、このような問いかけが、不意に突き付けられるかもしれない。
 対応として考えられるのは、諦めてこの境遇から逃げる(自死することなど)、神仏にすがる(信仰を持つなど)ことも選択のひとつだ。自死は命の尊厳さを考えると否定すべき選択だ。信仰は、心の不安定さを緩和する力を持っているが、現実に災害を乗り切るには少し力強さに欠ける感じがする。
 ではどうするか?ここで不条理という哲学的課題を、文学形式で思索したカミュに登場してもらおう。カミュはノーベル賞作家で、「異邦人」「ペスト」「シーシュポスの神話」で不条理を主題にしている。詳細を述べる紙幅はないので、かいつまんで印象深い文章を記載する。
「彼は死刑に処せられ人々から憎悪の叫びで迎えられることを望む(異邦人)」「この地上には天災と犠牲者がある、できるかぎり天災に同意することを拒否しなければならない(ペスト)」「この事件は我々みんなに関係のあること(ペスト)」「頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのにたりるのだ(シーシュポスの神話)」
 カミュから学ぶ不条理への対応は、不条理に目を背けることなく、不条理な事柄は、自分達に関わりのあることとして見つめ見極め、皆で連帯して不条理に抗い続けていくことだと理解した。そこで今回の災害で困難な生活を強いられている方々が、一歩一歩少しずつでも苦難を乗り超えられるように、自分達も連帯していることを示す意味で、診療所に募金箱を設置した。天災には挫けないというささやかな反抗と連帯の証だ。皆様にもご理解いただき、ご協力をお願いします。
 最近2,3人の媼(おうな)から同じような愚痴を聞いた。「若い人たちが農業や行事のしきたりを忘れてきている。折角芽吹いた茗荷の茎を間違って切られた。庭の花を草と間違えてビーバーで切られた。お祭りも簡素化でなく乱れた」と。目を伏せ皺を寄せた表情は、暗く心底嘆いていた。伝統の躓きは、忘れられることに起因する。この躓きは、災害等の不条理への対応にも障害となる。東日本大震災で話題になった「津波てんでんこ」という教えも、災害を忘れてはならないという戒めだ。災害、戦争、虐待、病気など不条理を忘れることなく連帯して抗いましょう。
(清川診療所 坪山明寛)

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