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クリニックの日記

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2018/05/28(月)
「心を寄せる媼」

 帰っていた、親燕が。先月号で綴ったあの「燕」だ。古巣で抱卵している親燕2羽を確認した時は、欣喜雀躍だった。5月12日黄色い嘴(くちばし)を4個確認。5月24日巣から今にも飛び出しそうな勢い。巣立ち率は50%と低いので、無事な巣立ちを祈る一方、この癒される風景が見られなくなるのは、寂しいなあと思う。でも今は診療開始前に巣を眺め、頑張れと声をかけるのが楽しみだ。
    大口の嘴四羽麦の秋 明寛
この心地よさにヒビをいれているのが、「日大アメフト部の危険タックル」だ。タックルをした選手は、会見で反省していたように、悪い。どんな事情でも、自分で正しくないと判断した事はやってはいけない。しかし人は弱い存在だ。以前綴ったように、私も自分の弱さ故に、小学5年の時、担任から痛い鉄拳をもらった苦い思い出がある。
この事件で腹立たしいのは、監督コーチの姿勢だ。事の真相はさて置いて、会見時の二人の発言、コーチのおどおどした態度、定まらない眼、監督の無感情な顔つき、ふてぶてしさに加え,信じてもらえないと思いますが、正直言って、本当のところ等と枕詞の多いこと、その不誠実さに腹だたしさが募った。育てる義務のある学生、スポーツをする愛弟子を慈しみ守り、過ちに苛まれている子に寄り添う誠が微塵もなかった。憔悴した学生を突き放し、保身に徹していた会見の姿だった。
 私はこの会見を聞きながら、ふっと法隆寺の玉虫の厨子が浮かんできた。国宝にもなっているあの厨子だ。壁面の一枚には、釈迦が崖から飛び降りて、飢えた虎に自分の肉体を捧げたという「捨身飼虎」の絵が、美しい玉虫の羽で描かれている。中学時代に釈迦の全ての命を救うという思いの広さ、深さ、強さに身が震えたのを覚えている。
 なぜ監督コーチの会見を観ていて、この絵を思い出したのか?釈迦の肉体は、現世の権力・名声・営利を表している。捨身飼虎の絵は、釈迦が現世の価値を投げ捨て、全ての民を救う道を歩みだしたことを意味している。この監督コーチは、弱き生徒を救う道より、今持っている権力・名声をしゃにむに守る道を選択したのだ。誰も釈迦の悟りの境地を求めているのではない。弱き学生、愛弟子に心を寄せ、真実に真向かう誠を示す境地に立ち、苦しくともその立ち位置に居て欲しかった。
 こんなモヤモヤした、明鏡止水という心境からほど遠い状態で、診察をしていた。そこに登場したのが87歳の媼(おうな)だった。菜園いじりし天童よしみが大好きで、お嫁さんを褒める小柄な方だ。その方が診察後に「嬉しかった〜。おいしかった〜」と話し始めた。めい御さんに宮崎県のグルメ処に連れて行ってもらい、ご馳走して貰ったのだ。この方が、めい御さんの母親を、よく見舞って励ましてあげたお礼だった。何にもしてあげられず、見舞に行き声をかけただけだったと謙遜されたが、これぞまさしく「心を寄せる」行いなのだ。この方は、死にたいという人を励まし、隣人の不幸を心から悲しみ、困った人を放っておけないと日頃から話していた。何かを求めて行っているのではない。唯心の赴くまま、弱き人、困った人、寂しい人を突き放せずに心を寄せているのだ。この方の顔は、優しい柔和な微笑みを湛えており、私もその顔を見るだけで癒されている。
件の監督コーチに、釈迦の捨身飼虎の境地は無理だが、この媼のような「心を寄せる」心根は備えておいて欲しかった。
 心配なのは、あの学生だ。心の傷をゆっくり癒し、今般の事で学んだ事をじっくり熟成させ、臆することなく人生の王道を歩んで欲しいと願い、遠くから心を寄せていきたい。
 親燕は今日も餌を運び、子燕は大口を開け
巣から身を乗り出している。「育てる」という時間は、本来美しく輝いているものだ。
(清川診療所 坪山明寛)

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