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クリニックの日記

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2018/04/26(木)
「燕の振る舞い」

 雨上がりの朝、診療所に到着し空を見上げると、電線に一羽の燕を見た。燕の初見だ。燕は首を傾げて診療所の方を見ていた。そこには去年の巣が残っていた。ひょっとしたら、この燕は昨年来ていた燕かもと思った。そう考えると、燕がとても愛おしく思えた。でも燕は巣に戻ることもなく飛び去っていった。
 首かしげ古巣見てをりつばくらめ  明寛
燕が首傾げたのは、私への再会の挨拶、会釈だったのでは、きっとそうだ。あの首の傾げかたには親しみが漂っていた。そう思うと、今日も一日楽しく仕事ができるようで、スキップしそうになった・・が止めた。72歳という主が、ドスのきいた声で「やめとけ!」と自制を促したから。隣の幼稚園から、園児の弾んだ挨拶が聞こえてきた。「せんせい おはようございます!」すると「は〜い、おはよう。〇〇ちゃん!」と返事があった。挨拶の交換だ。
 あいさつ、そう挨拶っていいもんだなあとしみじみ思った。挨拶しあっている空間には、邪気が入り込む隙は皆無だ。挨拶は人を近しくする、素晴らしい術、素敵な方便だ。
 そういえばいつだったか、診察の合間にとても良い話を聞いた。
ある媼(おうな)が、「私は子供のいる都会に遊びに行った時でも散歩します。そして散歩道で出会った人みんなに、『おはようございます』と挨拶するんです」と言われた。私が「知らない方にもですか」と尋ねると、「はい、みんなにです。返事する人もいるけど、返事を貰わなくてもいいんです。返事貰わなくても損することもないんで・・」と淡々と言われた。知らない人同士がすれ違いながら挨拶する経験を、私もしたことがある。数年前に誘われて傾山に登った。狭い登山道で、すれ違う人同士声を掛け合った。「こんにちは!」と。一言の挨拶が、お遍路の「同行二人」の空海ように励ましとなり、喘ぎながらも登頂の喜びを味わえたのだ。
 媼は続けて言った「朝起きたら、お嫁さんに先ず挨拶するんです」と。私の好奇心は俄然燃え上がり、聞き耳を立てると「『おはようございます。今日もよろしくお願いします』と挨拶し、孫達にも『おはよう』と挨拶します。嫁はとても面倒見が良いし、孫たちは知らない人にもよく挨拶するいい子だと聞かされます」と続けられたのだ。
 その話を聞いて、挨拶には力がある、人と人を近づける、仲良くする力があると思った。
挨拶は人と人を近しくする、そうだ!挨拶にはそういう意味があったことを思い出し、雑記帳をめくった。こう書き記していた。
“挨拶。一挨一拶(いちあいいっさつ)が語源。出典「碧巌録」23則。「・・衲僧門下に至っては、一言一句、一機一境、一出一入、一挨一拶、深浅を見んことを要し、向背を見んことを要す」意味:禅僧の悟りの深さを見るには、ひと言、心の動き、やり取り、一つ一つの切り込み(一挨一拶)で分かる。「挨」は迫る意味、「拶」も迫る意味。「挨拶」はお互いに身をすり寄せること”
 つまり挨拶は、人と人が近しくなり相手を知るということなのだ。
媼は更に素敵なことを言った。「挨拶は、自分のためにしているのです。誰も見ていなくても天が見てくれていますから」と。何のために生きているのか、何のために仕事しているのか?人は疑問に思い悩むことが多い。何故か?何か見返りを求める魂胆が潜んでいるから。この媼は「自分のため、天が見ている。それで十分」と知覚している。私はこの方の生き方を心から敬服し、多くを学んだ。
 帰宅時に燕の古巣には、リニューアルの気配はなかった。でも待ち続けよう!朝の燕の雰囲気、首を傾げた振る舞いは、「帰って来ました、今年もよろしく」の挨拶だったと思いたいから、いや確信するから。
(清川診療所 坪山明寛)

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