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クリニックの日記

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2018/01/24(水)
「戊戌の幕開け、あれこれ」

 明けまして おめでとうございます。
皆様には馥郁とした香りの中で、新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。元日の朝、ごそごそ起きだしベランダに立った。日の出を拝むためである。しかし高尾山稜線には雲がたなびいていた。残念!と思った時、雲の切れ間から初々しく光が射してきた、元旦だ。もろもろを込めて合掌した。
   元旦をもろ手に包み年男 明寛 
 今年の3社参りは、地域の氏神である松阪神社、八坂神社そして大国社にした。初めて参った大国社は印鑰(いんにゃく)様と言われ、祭神は大國主命だ。小さな鄙びた神社だ。印鑰の印は国司の使う印章、鑰(にゃく)は租税を収納した倉の鍵である。つまり、豊後風土記記載の大分群の印と鑰を祀る神社らしい。しかしこの神社参拝では、正月早々驚かされた。お賽銭箱に近づき、お賽銭を入れようと手を伸ばしたら、リリリ〜ンとけたたましく警報が鳴ったのだ。びっくりして後ずさりして辺りを見回した。どうやら賽銭泥棒防止と思われた。その後絵馬に願い事を書いている間にも、参拝者が賽銭を入れる度に鳴る警報音に、なんだか今の世のせつなさを、ひひしと感じた今年の初詣だった。
 4日は仕事始め、職員朝礼では人の幸せと言われる「長寿、富貴、康寧、好徳、善終」の五福の話をした。すなわち「長命であること」「裕福であること」「丈夫で安らかであること」「道徳を好むこと」「天寿を全うすること」だ。自分たちの仕事は、この中の三つ「長寿・康寧・善終」に関わっている仕事だから、誇りをもって頑張ろうと訓示した。
昼頃、私共法人理事長から届いた年頭所感に、組織として「レジリエンス(柔軟性・適応力)」を持とうとあった。レジリエンスが脳裏にへばりついた。この診療所を、厳しい環境に適応させ、どう運営していくかという課題が突き付けられた言葉が、「レジリエンス」だった。ちょっと心が折れそうになった。
 そんな心地で83歳の媼の診察をした。「正月は元気でしたか」と尋ねた。「年越しは一人だった。子供から”大丈夫か“と電話が来た。 ”大丈夫”とこたえたが、本当の所は、寂しさが募っていた。心配させてはいけないと必死に堪えて声がふるえた」と話してくれた。正月に折れそうな心の媼に、かける言葉を必死に探した。帰り際にふと出てきた言葉があった。薩摩生まれの歌手、長淵剛の「きばいやんせ」の歌詞に、それはある。「きば〜れ、きば〜れ きばいやんせ(頑張れ頑張れ 頑張って)」 媼の後姿に薩摩弁で呟いた。心折れそうな病み人を支えるのに、医療者までが、心折れたらだめだと深呼吸した。
 ああでも世の中には必ず救いの神がいる。「先生始まったな“西郷(せご)どん”が」と翁が言った。大河ドラマ「西郷どん」のこととすぐ分かった。明るい声で「私は西郷さんが大好きだ。西郷どんを、毎日放送してくれたらいいんだが。NHKに頼もうかな。それくらい好きなんです」と続いた。西郷隆盛、わが故郷の英雄だ。西郷南洲翁遺訓〈二十一条〉に、己に克つ極意は、私欲をむさぼる心を持たない事、自分を必ず通そうとしないこと、こだわりの心を持たない事、独りよがりにならない事、これが「敬天愛人」に繋がると書かれている。足元にも及ばないが、西郷の教えを良しとする私に「西郷さんが好き」と言う人が、清川町にいてくれたことが嬉しくなり、今年も心折れることなく我が道を歩んでいこうと思える元気を貰った。
 今年の干支の戊戌には、茂った草木を伐採し、新しい芽吹きを待つという意味がある。新年は、いろんな人や出来事、言葉等との出会いから始まった。これらが年男である私を涵養してくれることを期待し、日々を歩んでいこう。今年も、清川診療所・もみの木・三つ葉を、よろしくお願い申しあげます。
(清川診療所 坪山明寛)

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