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クリニックの日記

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2017/12/22(金)
「愛の鞭はあるのか?」

 厳冬のなか、こころもち背を曲げ小刻みに登校する子供達を、暖房のきいた車から眺めながら通勤する自分がいる。“老いたなあ”と情けなくなり、暖房を切り臍下丹田に気を込めることがある。そんな時思い浮かぶのは、自分が小学生の頃の通学風景である。60年前は裸足通学だった。厳冬で霜が降りている朝礼の時は、霜が溶け冷たさにもじもじ動くと先生の鉄拳が落ちた。今だったら「教師暴力!」となるだろうが、戦後10年、子供の人権なんてなく、教師は絶対的権威があり、スパルタ教育がまかり通っていた。
 今大相撲界で暴力が騒動になっている。私も暴力は絶対悪だと考えている。でも小学5年の担任の先生から殴られた痛みは、ほんわかした懐かしい思い出というより、むしろ忘れずに大切にしておくべき「譲れない教え」として脳裏にこびりついている。私はどちらかと言えば、親にも反抗せず友達とも喧嘩しない所謂良い子だったと思う。
 ある日、乱暴な子が「坪山は、やっせんぼ<鹿児島方言で“弱虫”>じゃ」とからかってきた。薩摩では、男が弱虫と言われたら最も卑下されたことになる。就学前から、崖の上に立ち「なこかいとぼかい、なこよっかひっとべ<泣くか飛ぶか、泣くより飛べ>」と叫びながら遊んだ。つまり崖から飛び降りるのを怖がり、泣く弱虫は薩摩男児ではないという意味と、男はいざとなったら理屈よりも勇気<蛮勇かも?>で生きよということが、遊びの中で教えられていた。
 おとなしい私も薩摩男児、「やっせんぼ」と言われたら腹が立ち「やっせんぼじゃなか!」と抗議した。するとその男の子が「やっせんぼじゃないなら、○○を叩いてみよ」と言った。○○とは、私の前に座っている頭のいい女の子だ。一瞬固まった、女の子を叩くなんて・・・。すると「ほ〜らみろ、やっせんぼ〜」と仲間と一緒に囃し立て始めた。私は〇〇の頭を叩いてしまった・・・。
 翌日、先生が朝一番に「昨晩、親御さんが来て、娘が叩かれたと泣いて帰ってきたと言われた。思い当たる者は立て」と言った。私の心臓は止まった。私はおそるおそる立った。するともう一人立った。私に「やっせんぼ」と言った子だった。先生は「坪山はよか、座れ」と言って、囃し立てた子の前に行き、平手でパシッと殴った。教室が静まり返った。先生の話では、○○が下校中にその子に殴られ泣いて帰ってきたのだった。先生は私の前に来て「坪山は、なんで立ったのか」と質した。昨日の出来事を正直に話した。「歯を食いしばれ!」と言った途端、先生の平手打ちが左の頬に炸裂した。先生は身長180cmを超えバレーボールのアタッカーだった。痛かった!「自分でも悪いと思ったことを、人から言われるがままやるのが、一番のやっせんぼじゃ!」と怒鳴られた。この言葉は今も耳の奥に残っている。小学5年のこの出来事は「自分が正しいと思うことは曲げまい」という生き方の礎になった。時々妻から頑固だと言われるが、平手打ちの痛みが残っている間は「譲れない教え」を守りとおすことになろう。
 心身を傷つける暴力は絶対にいけない。私も子供を叱ったことはあるが、手を出したことはない。しかし平手打ちした先生を憎むどころか、60年余経った今も、尊敬し感謝している自分がいるのも確かだ。
 教育と体罰を考える時に、暴力反対と叫ぶだけでよいのかと問われると難しい。例えば子供座禅会で、警策で肩を叩くのは許されるのか?愛の鞭と体罰の違いは?考え始めると悩ましい課題だが、大相撲騒動を契機に、考え悩むことを放棄せずに真向かってみたい。
 さて今年も「きよかわの風」を読んでいただき感謝します。来年も診療所・もみの木・三つ葉を、よろしくお願いします。
皆さまお元気で良いお年をお迎えください。
(清川診療所 坪山明寛)

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