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クリニックの日記

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2017/10/25(水)
「気にかかるダリ」

 先日大分市美術館を訪れた。開催中の「奇才・ダリ展〜もうひとつの顔〜」を鑑賞するためだ。サルヴァドール・
ダリ、スペイン生まれの芸術家だ。一度見たら忘れない顔、長いカイゼル髭をぴんと跳ね上げ、目を見開いたあの
顔の人だ。私の知っている代表的な作品と言えば「記憶の固執」だ。3個の時計がぐにゃりと曲がっている絵だ。今回はその絵はなかったが、曲がった時計の彫刻はあった。
 ダンテの「神曲」の版画など200点余が展示されていたので、鑑賞時間は約1時間余になった。見終わった感想を俳句にした。
  ダリ絵画古文書のよう秋深し 明寛
 要するに「やっぱり分かりにくかった」ということになる。分りにくかったというのは、セザンヌやフェルメールなどの絵画を鑑賞した時のような、「うん、さすが」という納得感を覚えなかったということだ。ダリの芸術活動は、シュルレアリスム(超現実主義)と言われているのだから、分かりにくいのが当たり前といえば当たり前だと納得は出来る。ダリ自身が「私の作品は誰にもわからない。ダリにもわからない」と言っていたらしいのだから、分からなくて良いのだ、と思うのだが、奇抜な形、妙な取り合わせ<絵画と自分の写真>などが、いつまでも余韻として残って気になるのが不思議だ。ある意味で、このように気にかからせる所が、ダリ芸術、シュルレアリスムの神髄なのかもしれない。
 「気にかかる」といえば、医師として病む人と関わりをもっていると、診療が終わり帰宅しても気にかかり、思い浮かぶ人が時にある。熱は下がったかな、苦しんでいるのじゃないかな、食事はとれているかな、などと気にかかるのだ。翌日看護師さんに電話してもらい確認して、症状が改善しているとホッとする。医療現場は気にかかる事が多い。
近頃気にかかることは、来院者の病状よりも、「稲刈りができない」「今年は米が食べられるだろうか」という来院者の呟きだ。長雨や台風により田がぬかるみ、コンバインを使っての稲刈りができないのだ。先日80歳過ぎの媼が風邪をひいたと来院した。状況を聞くと、風邪ひきの原因は稲刈りだった。
田圃を見たら稲が倒伏していた。このままではダメになると思うと、居ても立ってもおられなくなり、ぬかるんだ田に入り鎌で稲刈りをしたとのこと。6月から育ててきた稲が、倒伏し水につかっているのをそのままにしておくのが忍びなく、手作業で稲刈りをしたための風邪だった。私は、この媼の心の耳には、倒伏した稲の「助けて」という叫びが、聞こえたのだと思った。医師としては、「それはちょっと無謀ですね」と言うべきだったが、「ほっとけなかったんですね」と言うと、媼は「はい!黙って見ておれなくて・・」と返事があった。人は、なんでも気にかかると、気にかかったことに対して真剣に向き合い、一心不乱に動くものなんだと思いつつ診察した。帰り際には「あまり無理をしないでください」と声をかけた。媼は「はい」と言いながら帰っていった。媼の診療を終え、ひとつ納得できた。気にかかるということは、気にかかる対象を好ましく思っている証ということが納得できたのだ。
 ダリに話を戻す。今回ダリの多くの作品を鑑賞したが、鮮やか色、自在な線と形、奇抜な形の巧みさには驚嘆したが、何を意味しているかは不明だった。でもダリという人物は、これまでと同様、気にかかったままだ。それはダリという人物には好感が持てるということだ。彼の心の豊かさ・情熱・奔放さは、誰も真似できない個性であり才能であり敬服したい。ダリ展鑑賞後、時が経つにつれダリの自由さが羨ましくなってきている。
  秋天や時空を跳ねるダリ絵画 明寛
 これからも診療の際、老いてからこその自由の大切さ面白さを、語っていこうと思う。
(清川診療所 坪山明寛)

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