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Webの「枕石漱流 日記」の携帯出張版です。
2009/06/24(水)
「[格言]谷崎潤一郎(1)」
「我という人の心はただひとり、われより外に知る人はなし」
人を悩ませるのは、不理解。
不理解とは、分かってもらえないこと。
それぞれの「わたしの心」を他の人に分かってもらえないこと。
☆
でもそれは、当たり前のことでもあります。
それぞれの「わたしの心」は人間の内側、殻の中にありますから、そのままでは人の目に触れません。
ただ、「わたしの心」につながるものは、そうでもなさそう。
☆
例えば、「顔」「表情」などは、心につながっていそう。
外にも、体の部位などは、つながっていそう。
胃が悪くなったり、眠れなくなったり、逆に、爽快になったり、軽くなったり。
顔や表情、態度や行動、あるいは言葉は、「わたしの心」につながるので、それぞれの「わたしの心」は人目に触れなくても、それにつながるものは、人目に触れそうですね。
が、しかし、
それらを見てもらえない場合もあるので、その時は…
☆
ところで、実は、それぞれの「わたし」も「わたしの心」が分からなくなったりします。
自分の心が分からなくなったりする。
心は感じるものですが、直接見えるわけではありませんからね。
心にカタチはありませんから、心にカタチを与えないと、見えません。
感じることはできても、見えない。
さて、あなたはあなた自身の「わたしの心」に、どんなカタチを与えますか?
人を悩ませるのは、不理解。
不理解とは、分かってもらえないこと。
それぞれの「わたしの心」を他の人に分かってもらえないこと。
☆
でもそれは、当たり前のことでもあります。
それぞれの「わたしの心」は人間の内側、殻の中にありますから、そのままでは人の目に触れません。
ただ、「わたしの心」につながるものは、そうでもなさそう。
☆
例えば、「顔」「表情」などは、心につながっていそう。
外にも、体の部位などは、つながっていそう。
胃が悪くなったり、眠れなくなったり、逆に、爽快になったり、軽くなったり。
顔や表情、態度や行動、あるいは言葉は、「わたしの心」につながるので、それぞれの「わたしの心」は人目に触れなくても、それにつながるものは、人目に触れそうですね。
が、しかし、
それらを見てもらえない場合もあるので、その時は…
☆
ところで、実は、それぞれの「わたし」も「わたしの心」が分からなくなったりします。
自分の心が分からなくなったりする。
心は感じるものですが、直接見えるわけではありませんからね。
心にカタチはありませんから、心にカタチを与えないと、見えません。
感じることはできても、見えない。
さて、あなたはあなた自身の「わたしの心」に、どんなカタチを与えますか?