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Webの「枕石漱流 日記」の携帯出張版です。
2008/11/27(木)
「コンプレックスが見えてくる時3」
ところで、前に書いたのは「決め付け」的な例ですが、「未整理」が強調されるような例もありますよね。
例えば、前のような決めつけ発言をするわけではないけれど、それを目の前にすると普通じゃなくなってしまうとか。
(まあ、上の決め付けにしても普通じゃなくなっているんですけどね)
別に嫌っているわけではない、
別に明確な理由があるわけでもない、
しかし、ともかく、それを前にするといつも通りではなくなって、うまく振舞えないとか、
あるいは、怖いとか、
うまく表現できない感情が湧いてくるとか、
そういうこともありますよね。
こういうのもコンプレックスの仕業で、見えないところにある整理できていないものが、意識に影響を与えてくるわけです。
そして、こういう例にしても、ある意味、決め付けているということなのかもしれません。
このような場合、意識的には決め付けていないのだけれど、無意識的には決め付けているのと同じような働きをしている。
つまり、目の前の人はそうではないんだけれど、ある種のカテゴリのものとして無意識的に処理され、同等に扱われてしまう。
時に苦手なものとして、
時に怖いものとして、
扱われてしまうのです。
(そう思ってしまう方にしても、そう思われる方にしても、罪はないんですけどね)
例えば、前のような決めつけ発言をするわけではないけれど、それを目の前にすると普通じゃなくなってしまうとか。
(まあ、上の決め付けにしても普通じゃなくなっているんですけどね)
別に嫌っているわけではない、
別に明確な理由があるわけでもない、
しかし、ともかく、それを前にするといつも通りではなくなって、うまく振舞えないとか、
あるいは、怖いとか、
うまく表現できない感情が湧いてくるとか、
そういうこともありますよね。
こういうのもコンプレックスの仕業で、見えないところにある整理できていないものが、意識に影響を与えてくるわけです。
そして、こういう例にしても、ある意味、決め付けているということなのかもしれません。
このような場合、意識的には決め付けていないのだけれど、無意識的には決め付けているのと同じような働きをしている。
つまり、目の前の人はそうではないんだけれど、ある種のカテゴリのものとして無意識的に処理され、同等に扱われてしまう。
時に苦手なものとして、
時に怖いものとして、
扱われてしまうのです。
(そう思ってしまう方にしても、そう思われる方にしても、罪はないんですけどね)