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Webの「枕石漱流 日記」の携帯出張版です。
2008/11/26(水)
「コンプレックスが見えてくる時2」
みんなだいたい、カタチは違えど「決め付け」のようなものを持っていたりします。
性別でどうこうしないという人でも、何らかのカテゴリになると、見もしないで判断してしまっているということは多々あったりします。
自分では気づかなくても、ですね。
誰だって、「○○なんて××」みたいなことを言ってしまうことがあるでしょ?
で、そういうことをしてしまうというのは、ごっちゃになっているから、という部分があるでしょう。
同じカテゴリでもいろんなものがあるのに、いろんな人がいるのに、みんなまとめてごっちゃになってしまっています。
細分化して検証するようなことがない。
で、しかも強いこだわりをもっていたりする。
こういうことが生じるのは、うまく整理できないからであって、コンプレックスによっていろんなものがごっちゃになって、絡み合ってしまうからです。
絡み合っているくせにカテゴリ整理だけはされているので、カテゴリだけで判断してしまったりします。
で、その絡み合ったものの奥にある、コンプレックスの核のようなものはなかなか見えないんですけど、絡み合ったカタマリ自体は確認できますよね。
カタマリ自体は、前に書いたような症状として、確認できるわけです。
性別でどうこうしないという人でも、何らかのカテゴリになると、見もしないで判断してしまっているということは多々あったりします。
自分では気づかなくても、ですね。
誰だって、「○○なんて××」みたいなことを言ってしまうことがあるでしょ?
で、そういうことをしてしまうというのは、ごっちゃになっているから、という部分があるでしょう。
同じカテゴリでもいろんなものがあるのに、いろんな人がいるのに、みんなまとめてごっちゃになってしまっています。
細分化して検証するようなことがない。
で、しかも強いこだわりをもっていたりする。
こういうことが生じるのは、うまく整理できないからであって、コンプレックスによっていろんなものがごっちゃになって、絡み合ってしまうからです。
絡み合っているくせにカテゴリ整理だけはされているので、カテゴリだけで判断してしまったりします。
で、その絡み合ったものの奥にある、コンプレックスの核のようなものはなかなか見えないんですけど、絡み合ったカタマリ自体は確認できますよね。
カタマリ自体は、前に書いたような症状として、確認できるわけです。