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Webの「枕石漱流 日記」の携帯出張版です。
2008/11/25(火)
「コンプレックスが見えてくる時1」
コンプレックスは、なかなか見ることができないもの、認識できないものですが、時に、それが見えてくることがあります。
というのは、それそのものはなかなか見ることができないんですが、それが別のカタチとして表に出てくるということです。
☆
コンプレックスというのは、いろんなものをごっちゃにしてしまう性質を持っています。
例えば、あるコンプレックスによって、
「男が嫌い」とか、
「女が嫌い」とか、
「ある年代の者が嫌い」とか、
そういう風に言ってしまうことがあります。
(嫌いという表現よりも、苦手というほうが的確かもしれません)
あるいは、
「男なんて○○だ」
「女なんて○○だ」
「あの年代は○○だ」
そういうことを言ってしまうこともあるでしょう。
こういうのは冷静に考えれば、つじつまが合わないことであって、男にも女にも、それぞれの年代にも、いろんな人がいるわけで、そのカテゴリだというだけでぶった切れないものです。
部分としてはそういうこともある。
しかし、詳細としては違うこともまた多い。
その人その人を見ないことには分からない。
そういうものでしょ。
だって、自分が男だから、女だから、ある年代だから、そういう理由で、見もしないで判断されたら嫌でしょう。
そんな失礼なことはない。
しかし、人間というのは、そういうことをしがちです。
というのは、それそのものはなかなか見ることができないんですが、それが別のカタチとして表に出てくるということです。
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コンプレックスというのは、いろんなものをごっちゃにしてしまう性質を持っています。
例えば、あるコンプレックスによって、
「男が嫌い」とか、
「女が嫌い」とか、
「ある年代の者が嫌い」とか、
そういう風に言ってしまうことがあります。
(嫌いという表現よりも、苦手というほうが的確かもしれません)
あるいは、
「男なんて○○だ」
「女なんて○○だ」
「あの年代は○○だ」
そういうことを言ってしまうこともあるでしょう。
こういうのは冷静に考えれば、つじつまが合わないことであって、男にも女にも、それぞれの年代にも、いろんな人がいるわけで、そのカテゴリだというだけでぶった切れないものです。
部分としてはそういうこともある。
しかし、詳細としては違うこともまた多い。
その人その人を見ないことには分からない。
そういうものでしょ。
だって、自分が男だから、女だから、ある年代だから、そういう理由で、見もしないで判断されたら嫌でしょう。
そんな失礼なことはない。
しかし、人間というのは、そういうことをしがちです。