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Webの「枕石漱流 日記」の携帯出張版です。
2008/11/10(月)
「場とコンプレックス9」
ところで、仮に、自分自身が
「○○できなくても大丈夫」
「○○を持ってなくても大丈夫」
そう思えて、
なおかつ、身近な人たちもそう思えたとしても、
社会にそういうのが行き渡っていない場合は、どうしても傷つくような事態は出てくるかもしれません。
悲しいかな、あるでしょう。
世の中には、通りすがりで、平気で人を貶めたり、「○○ができない」とか「○○を持っていない」とか言ってひどく愚弄するような人もいるので、どうしたって傷ついてしまいます。
しかし、身近な人、手の届く範囲の人というのは、やっぱり影響力が大きいもので、そういう人たちが大丈夫だと知っていて、なおかつ、大丈夫だと言ってくれる限り、傷ついたって大丈夫だと思います。
それは大きな救いになるでしょう。
おそらく、存在を脅かすようにはならない。
(傷つくのは傷つくにしても)
しかし、こういうのは嘘ではできんものでしてね、無理やり思い込もうとしたような代物では、どうしてもボロが出てきてしまいます。
そういうのをしっかり己に定着させるには、やはり自分自身の劣等感コンプレックスというようなものと勝負しておかなければならないんでしょうね。
大人が。
(続く…)
「○○できなくても大丈夫」
「○○を持ってなくても大丈夫」
そう思えて、
なおかつ、身近な人たちもそう思えたとしても、
社会にそういうのが行き渡っていない場合は、どうしても傷つくような事態は出てくるかもしれません。
悲しいかな、あるでしょう。
世の中には、通りすがりで、平気で人を貶めたり、「○○ができない」とか「○○を持っていない」とか言ってひどく愚弄するような人もいるので、どうしたって傷ついてしまいます。
しかし、身近な人、手の届く範囲の人というのは、やっぱり影響力が大きいもので、そういう人たちが大丈夫だと知っていて、なおかつ、大丈夫だと言ってくれる限り、傷ついたって大丈夫だと思います。
それは大きな救いになるでしょう。
おそらく、存在を脅かすようにはならない。
(傷つくのは傷つくにしても)
しかし、こういうのは嘘ではできんものでしてね、無理やり思い込もうとしたような代物では、どうしてもボロが出てきてしまいます。
そういうのをしっかり己に定着させるには、やはり自分自身の劣等感コンプレックスというようなものと勝負しておかなければならないんでしょうね。
大人が。
(続く…)