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Webの「枕石漱流 日記」の携帯出張版です。
2008/11/07(金)
「場とコンプレックス6」
だいたい、
「大丈夫、大丈夫」
「問題ない、問題ない」
と言いながら、
「○○ができない」とか
「○○を持っていない」というのを、
懸命に隠そうとしているわけでしょ。
それは、
「○○ができなくても、大丈夫」
「○○を持ってなくても、問題ない」
そういうのとは、ちと違うようです。
コンプレックスのない状態を、
「わたしは○○できません」
そう無理なく言える状態だとすると、それは
「○○できない」
というのをちゃんと知っていなければならないわけですから、それを頑なに隠すのはちと違いますよね。
「わたしは○○できません。でも、大丈夫」
それが理想なんです。
それをひた隠しにするのとは、違うんですね。
だいたい、隠そうとするということは、それに対しネガティブな感情なり評価なりを持っているということでしょ。
あるいは、隠そうとする人が、その事実に耐えられないのかもしれない。
(↑これは必ずしも責められるものではないですけどね。むしろ人情か)
「大丈夫、大丈夫」
「問題ない、問題ない」
と言いながら、
「○○ができない」とか
「○○を持っていない」というのを、
懸命に隠そうとしているわけでしょ。
それは、
「○○ができなくても、大丈夫」
「○○を持ってなくても、問題ない」
そういうのとは、ちと違うようです。
コンプレックスのない状態を、
「わたしは○○できません」
そう無理なく言える状態だとすると、それは
「○○できない」
というのをちゃんと知っていなければならないわけですから、それを頑なに隠すのはちと違いますよね。
「わたしは○○できません。でも、大丈夫」
それが理想なんです。
それをひた隠しにするのとは、違うんですね。
だいたい、隠そうとするということは、それに対しネガティブな感情なり評価なりを持っているということでしょ。
あるいは、隠そうとする人が、その事実に耐えられないのかもしれない。
(↑これは必ずしも責められるものではないですけどね。むしろ人情か)