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Webの「枕石漱流 日記」の携帯出張版です。
2008/09/23(火)
「修復しようとした試み3」
で、ぼやかすのはいいのですが、やはり感情というものは存在するわけで、何らかの「それ」をぼやかすもんだから、感情は処理されない。
あるいは感情があまりに大きすぎて処理できないものだから、後に回す、保留することになってしまう。
もう少し血栓的な見方をするなら、傷を引き裂かないために、感情はそこに留まり、処理されるよりはそこに張り付いて傷を塞ぐことに使用される。
これにより傷は開かず、致命傷にもならない代わりに、処理されない感情は残ることになる。
しかも、「それ」とよく似た感情を発生させる状況というのは何度もあるわけで、その度にうまく処理されない感情は募ることになります。どんどん蓄積されてしまう。
コンプレックスの核が、似たような感情を巻き込むのだとすると、同じような状況に身を置く度に、小さな感情を巻き込み、混同し、コンプレックスは大きくなることになります。
あるいは感情があまりに大きすぎて処理できないものだから、後に回す、保留することになってしまう。
もう少し血栓的な見方をするなら、傷を引き裂かないために、感情はそこに留まり、処理されるよりはそこに張り付いて傷を塞ぐことに使用される。
これにより傷は開かず、致命傷にもならない代わりに、処理されない感情は残ることになる。
しかも、「それ」とよく似た感情を発生させる状況というのは何度もあるわけで、その度にうまく処理されない感情は募ることになります。どんどん蓄積されてしまう。
コンプレックスの核が、似たような感情を巻き込むのだとすると、同じような状況に身を置く度に、小さな感情を巻き込み、混同し、コンプレックスは大きくなることになります。