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Webの「枕石漱流 日記」の携帯出張版です。
2008/09/08(月)
「感情のカタマリ4」
例えば、何かに怖れのようなものを感じる場合を考えましょうか。「畏れ」と言ってもいいです。
これはタイプによっても違うんですが、いわゆる「偉い人」あるいは「目上の人」に相対する場合、誰だって少しぐらい怖いと思うでしょ。畏敬の念を抱く、と言ってもいいかもしれません。
でも、多少怖いと思いながらも、言葉を交わしたり、挨拶したりします。緊張しながらも、なんとかなるでしょう。
しかし、何らかのコンプレックスを抱えている場合、その「怖い」という感情は以前からあるカタマリに巻き込まれるので、より強い恐怖となるかもしれません。
今生じたちょっとした怖さがきっかけになって、流れることなく残ったままになっている他の怖さも起こすことになって、すごく怖いと思うかもしれません。眠っていた感情まで呼び起こされてしまうんですね。
こうなると、通常怖いと思いながらも対応できるようなことでも、すごく怖くなって対応できなくなりますよね。
それは今生じていることのようで、今まで蓄積してきたものでもあるのですから。
☆
コンプレックスの特徴として、こういうものもあるのかもしれませんね。
これはタイプによっても違うんですが、いわゆる「偉い人」あるいは「目上の人」に相対する場合、誰だって少しぐらい怖いと思うでしょ。畏敬の念を抱く、と言ってもいいかもしれません。
でも、多少怖いと思いながらも、言葉を交わしたり、挨拶したりします。緊張しながらも、なんとかなるでしょう。
しかし、何らかのコンプレックスを抱えている場合、その「怖い」という感情は以前からあるカタマリに巻き込まれるので、より強い恐怖となるかもしれません。
今生じたちょっとした怖さがきっかけになって、流れることなく残ったままになっている他の怖さも起こすことになって、すごく怖いと思うかもしれません。眠っていた感情まで呼び起こされてしまうんですね。
こうなると、通常怖いと思いながらも対応できるようなことでも、すごく怖くなって対応できなくなりますよね。
それは今生じていることのようで、今まで蓄積してきたものでもあるのですから。
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コンプレックスの特徴として、こういうものもあるのかもしれませんね。