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一岡家の日記

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2015/01/24(土)
「私の日記 がんどたばた闘病記などまいった」

まずは、昨年6月突然一岡家の営業をやめてしまって大変ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。 さらに大変勝手ですが、こんな馬鹿な私ですが、一岡家の復活を目指して、少しづつ日記を更新させていただきます。

さて、さて、始まりは、14ヶ月前(2013年11月)の深夜、営業の疲れで熟睡してると、どこからともなく男性の声が暗闇から轟きました、「死んでしまうぞ!死んでしまうぞ!」驚きで飛び起きた、いったいなんなんだ!! 不思議と恐怖感は、それほど感じなかった。そのごも同じ現象が数回繰り返へされました。あの声は何らかの警告だったのだろうっか? 本当の話である。

同じく(2013年11月)頃から、空腹感を少し多く感じる。

その後2013年12月から2014年4月頃まで52歳の私は、相変わらず体力*気力に身勝手で根拠のない自信を持っていた私は、暴食暴食暴食を繰り返してました、さらに、一岡家では一日16時間労働、睡眠時間5時間、休みの日も、買い出しと無理をしてたのかもしれません。

さて、刻一刻とその時は近づいていました、2014年5月、連休直前、胃が痛くなり、最初に行った町医者の紹介で、家から9ブロックさきの、立派で有名な総合病院山**病院に行きましたが、連休直前だったので、先生にお願いして、痛み止めだけ頂いて、仕事に戻りました、5月の連休中は、ラーメン屋は、かきいれどきです。

その後、翌月の2014年6月第一水曜日(定休日)午前、ものすごくちかくにある3ブロック先の、立派な国立病院に診察に行きました。そこでの診察と検査の結果によって、私は、大変なことにその日から検査入院となり、その為、一岡家閉店、等等、晴天のへきれき、となりました。国立病院での先生の診断は、以下の如くでした; 

先生言わく 「万が一と思ってCT検査したら、肝臓にこんなにたくさん腫瘍が、映ってるでしょ、普通は、映らないんだよ、、、、、、、、。 手術も難しだろう。 」病院専属の方ではないのでその後一度も診察してもらうことはないんですが、私のがんを見つけてくれた大恩人の先生です。まさにIT IS NOT ENDING,IT IS JUST BEGINNING,私の人生どうなるんだー。

あまりに急なことで、2014年6月4日水曜日からの国立**病院への入院は、全く実感が伴いませんでした、しかも最初に行った町医者紹介の山**病院に行ってれば外科があり、がんの患者さんもたくさん入院しておりそのままがん治療ができたのに、なんと!ちかくの立派な国立病院には、外科がなくがん患者は、まったく入院してない事を知ったのも半年先でした。病気なんてしたことのない私は、自分の病気や、医療に関しては、外科と内科の違いも知らないほどの大馬鹿もので無知な52歳でした。国立病院には4日間入院して検査しました。

話は、もどって、6月4日の突然の入院準備で、数時間家に帰ると家族で号泣、その後、いろいろな病院を調べていた私は、空手の先輩が、天下の千葉大の先生だったので、お願いして翌週に千葉大で診察して、2014年6月19日から千葉大で検査入院再度はじまりました、そこで大変素晴らし先生がたに出会っています。では、またいつかそのへんのことは次回に書きます、さようなら! 大馬鹿の昔一岡家でした。ドタバタだー!



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