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godhandの日記

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2022/06/21(火)
「メタ認知」

自分を取り巻く状況はどうなっているかを、上空から見下ろすように俯瞰して客観的に認識することを、メタ認知といいます。

今は、最も大事な動機で生きていることといえば、「金」と「時間」とまあ性のあれこれ・・ではないでしょうか。非常に何か虚しいようなものを感じます。

その価値観というのは時代がつくったものです。例えばキリスト教の考え方が生活を支配していた中世ヨーロッパでは、個人のステータスとは信仰心の篤さでした。人生の幸せというのは信仰によって感じるものであって、何かおいしいものを食べて幸せと感じたり必要以上に贅沢をして優越感を持つことは非常に恥ずかしいことでした。時計がなかった江戸時代では、日の出のおよそ30分前を明け六つ、日没のおよそ30分後を暮れ六つとして昼と夜に分け、それぞれ6等分していたので季節によって一日の長さが違っていました。夏は日中の時間が長く、冬は逆です。頭でそらんじて時刻を把握するのは至難なうえ、そのころ使われていた太陰太陽暦も月が年によって多かったり少なかったり難解なもので庶民も正確に暦を把握しておらず、時間に関していえば非常にぼんやりとした感覚でした。今の日本人の時間の感覚は、明治以降、時刻表と軍隊教育が作ったものです。そんな馬鹿な、と思われるでしょうが、例えば「いただきます」「ごちそうさま」と言う食事の当たり前の習慣さえ、第二次大戦中にラジオの番組が広めたものです。同性愛も人類史を見れば、アジアもヨーロッパでも別に何でもいいんじゃないか、という時代の方が長く、「同性愛」なんてカテゴライズ自体が人類史で見れば最近のことです。

今、自分が充実しているか、幸せであるか、は時代に決められてしまっています。

もし時代に関わらず、自分の幸せを絶対的に確信することができたら。

「菩薩界とは、六道の凡夫の中において、自身を軽んじ他人を重んじ、悪をもって己に向け、善をもって他に与えんと念(おも)う者有り。」

私は後半の、悪(くるしみ)は自分が引き受け、善(楽しみ)は他人に与えようと思う者、という表現にハッとしました。

心からそういうふうに思えれば何にも人をうらやむことはないし、充実だし幸せだから。自分がつまらない人生だった、と思う人は自分がもらう面白いものを人にあげてきた人生だった、と思える菩薩の境地。宮沢賢治の「雨にも負けず」は、不軽菩薩のエピソードからきている、とされていますが、私はこの日蓮大聖人の言葉からが本当なのだと思います。喧嘩や訴訟があればくだらないからやめろと言い、病気で死にそうな人がいれば怖がらなくていいと言い、そこまでふみこんだことの言える者に私はなりたい。



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