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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2013/06/07(金)
「税務署長の冒険(8)」

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しかし、『税務署長の冒険』の作者は、このような絶望的な気持ちとはまだ無縁でいるように思われます。おそらく、1927年以前の中期の作品なのではないでしょうか。
当時の詩の例を挙げるなら、たとえば、「五輪峠」(#16,1924.3.24.)の次の部分などがそうでしょう:

「宇部何だって?……
 宇部興左エ門?……
 ずゐぶん古い名前だな
  何べんも何べんも降った雪を
  いつ誰が踏み堅めたでもなしに
  みちはほそぼそ林をめぐる
 地主ったって
 君の部落のうちだけだらう
 野原の方ももってるのか
  ……それは部落のうちだけです……
 それでは山林でもあるんだな
  ……十町歩もあるさうです……
 それで毎日糸織を着て
 ゐろりのヘりできせるを叩いて
 政治家きどりでゐるんだな
 それは間もなく没落さ
 いまだってもうマイナスだらう」
  【下書稿(2)手入れ】

賢治は、初期短編作品『家長制度』以来、閉鎖的で権力的な農村の古いしきたりに対して強い批判を抱いていましたが、農学校教師時代から「羅須地人協会」時代にかけての中期には、まだ非常に楽観的な──つまり甘い──見通しを持っていたと思います。
しかし、その‘甘さ’が、『税務署長の冒険』の‘ハッピーエンド’に賢治独特の“着地”を与えていることもたしかです。
署長は、検束された(書いてはありませんが、手錠と腰縄を付けられて警官に引致されている)名誉村長と並んで歩きながら、二人は、クロモジの匂いの漂う春らしい陽光を満喫して、事件のことは忘れてしまったかのようです:
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1941_17444.html
http://c.fc2.com/m.php?_mfc2u=http%3A%2F%2Fwww.aozora.gr.jp%2Fcards%2F000081%2Ffiles%2F1941_17444.html

「『おい。みんな外へ引っぱれ。』
そしてもうぞろぞろみんなはイーハトヴ密造会社の工場を出たのだ。五分ののちこの変な行列があの番所の少し向ふを通ってゐた。
署長は名誉村長とならんで歩いてゐた。『今日は何日だ。』署長はふっとうしろを向いてシラトリ属にきいた。
『五日です。』『あゝもうあの日から四日たってゐるなあ。ちょっとの間に木の芽が大きくなった。』
署長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の山からぼおっと出てくろもじのにほひが風にふうっと漂って来た。
『あゝいゝ匂だな。』署長が云った。
『いゝ匂ですな。』名誉村長が云った。」

‘不正利得の追求’‘犯罪の摘発’などといった人事をはるかに超越する巨きな自然の力が描かれていると言ってもよいし、
そうした自然の力を背景にして、‘悪’と‘正義’とが対等に扱われていると言ってもよいと思います。

もちろん、一方が身体拘束され、他方が自由である人間たちが並んで歩いているからといって、その構図から、彼らが互いに対等な人格として描かれているなどと言うことはできません。しかも、この‘対等でない’関係は、文章の表面にあえて書かれず、隠されているのですから、‘善悪の対等’などといっても、それはまったく表面的なものでしかないと言わざるをえないのです。
そういう意味で、この作品の射程は、善悪を超越した世界観に及んでいるわけではなく、あくまで表面的なハッピーエンドでまとめられたサスペンス小説☆にとどまっていると思います。
しかし、その点を割り引いてもなお、作者が‘村ぐるみ’の“犯罪”に向けた視点は、それを遅れた野蛮な‘悪’として否定し去るだけのものではないように感じられます。その意味で、賢治は、村人の集団的な‘悪’に対しても、税務署長の国家の‘正義’と拮抗しうる対等な地位を与えていると言うことができると思います。

☆(注) さらにこの作品の欠点を言えば、サスペンス小説としても障害になるプロットのイレアルさが気になります。例えば、工場に忍び込んだ税務署長が従業員に発見されるのと同時に、‘絶妙のタイミング’で、名誉村長、村会議員、小学校長という署長の顔を知っている3名の重役が、なぜか揃って工場に入って来ます。工場の重役たちが、なぜこの時に揃ってやって来たのかについては、何の説明も伏線もなく、ふにおちません。また、最後の場面で、署長の部下のシラトリが、警官らを伴って救出にやって来るのですが、これまた、どうやって署長の居場所を知りえたのか、まったく不明です。密造工場の存在は、地元の警察でさえ掴んでいない事実のはずなのですから。
(この章、終り)
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