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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2015/03/15(日)
「100年たってようやく‥(5)」

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こんばんは。。。




宮沢賢治は、1933年に亡くなる時に、自分の書いてきた原稿すべての山をさして、「これは私の迷いの痕ですから適当に処分してください」と父に言ったそうです。

(もっとも、それを聞いた父が、「よく言った」と褒めたところ、賢治は弟と顔を見合わせて、「俺もおやじに褒められるようになった」と皮肉を言って笑ったというので、↑どれだけ本気で言ったか分からない気がします。)





ギトンは、このエピソードを想起するたびに、「迷い」こそは、この作家の最大の価値であったと思うのです。徹底して「迷い」を迷い、しかもその過程を、詩なり散文として残したからこそ、“賢治文学”は私たちの貴重な遺産になりえているのだと思います。




そこで、きょうの引用は、坪井氏の討論における発言からです:



「西成彦 池澤さんの今日のお話は〔…〕知里幸恵はアイヌの側から日本語を使って日本に和解を申し出たという結論でした。じゃあ,宮澤賢治は何をしたか。そこを坪井さんの言葉で決め言葉をもう一度言っていただけるとうれしいんですが。宮澤賢治の場合はそれが和解の申し出だったと言えるかどうか。

 坪井秀人 〔…〕迷いがそこには常にあったと思うのです。僕個人の解釈では,結論としては,和解は宮澤賢治の中にはできていなかった。松田甚次郎とか,彼の教えを受けた人たち〔…〕がネガティブな形で和解像を構築してしまったのだと思います。

 〔…〕

 池澤夏樹 和解の話ですが、宮澤賢治は征服の過程をもう一度たどり直して,何が起こったのかを童話の形で書いた。その征服した側にいる自分を,どうしていいかわからなくなった。修羅であるとかデクノボウであるとか,一種恥じ入る姿勢は,謝罪する資格がないということではないですか。〔…〕こういうことが起こってしまったことを自分は知っている。その歴史的な過程について身の置きどころがなくなったような気がする。仏教は最終的に救ってくれなかっただろうし、科学を信頼するといってもそれは具体的ではない。居心地の悪いことになってしまった人だと思うんです。征服する側には武器があるし,〔…〕言葉を強制する。あるいはイメージをつくって流布させる。」




「仏教は最終的に救ってくれなかった」──ですが、そこから言えば、亡くなる時に『漢和対照 妙法蓮華経』の再版頒布を依頼したのは、“もうこれで、自分はこの世界から離れるので、法華経にだけ邁進することができる。仏教の力足らなさを見せつけられないですむようになる。”という安心した気持ちではないのでしょうか?


「科学を信頼するといってもそれは具体的ではない。」──これも、『銀河鉄道の夜』の「黒い帽子の大人」の発言が思い出されます。正しいことと正しくないことを「実験」によって見分けることができれば、もう何も悩む必要はない、と。たしかに、(実験で「見分け」られない種類の問題こそが悩ましいのですが、それはとりあえず置いて)ほんとうにそういう「実験」ができたならば、それはそのとおりですけれども、じっさいにどういう「実験」をするのか、いっこうに話は具体的でないのです。

逆に言えば、“実験をしないうちに、自分の考えが正しいなどと思ってはならない”と言っているようにも聞えます。




そして、↑上で引用した池澤さんの発言の末尾からすると、賢治は、言葉、とくに“流布される言葉”に強い疑いを持ったはずです。そういうことになります。

検証は、これからですけれども、‥これはひょっとすると鍵になるかもしれない、という気がします。












ばいみ〜 ミ
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