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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2015/03/10(火)
「いかなる天意のもとに‥」

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こんばんは。。。





↑このタイトルの言葉、保阪家に保管されていた賢治の厖大な嘉内あて手紙の存在を知った時に、宮沢清六さんが呟いた言葉だそうです。保阪庸夫さんの文章に書いてありました。もう少し引用しますと:

「賢治の生涯とその創作活動と云う実在が、昭和8年9月の逝去により、残された業績と之に対する社会の評価に変貌したのと異り、賢治と亡父嘉内との交友は、昭和12年2月の死以後、賢治の手紙を取巻く嘉内の遺族と云う私(ひそ)かなものに変質致しました。〔…〕私共にとってこれは公共性をもつ文化的遺産と云うより以上の意味を持つものとなりました。何等の慮りなく此等の手紙を公表するのは、二人の故人の墳墓を謂(いわ)れもなく発(あば)くに似た心無い業になると思われました。

 その朝、死後の整理に当った人々は枕頭の手文庫から草色の切抜き帖〔賢治の手紙をおさめたスクラップブック〕を見出しました。眼を泣き腫らした叔父がそれを座敷の書棚に収めたのを幼い私の眼が捉えました。此の人も別の年若い叔父も(兄の感化で農村青年の指導者の道を歩み始めて)間もなく戦死致しました。仮令此の世代の嘉内一族に死者の遺志を継ぐ志があった処で空しい願いに過ぎなかったのです。」

その後終戦、そして、昭和22年「勉学の為上京する廿才の私の行李の底に草色帖1冊が私(ひそ)かに収められていました。苦しい学生生活の間文字通り心の支えとなった賢治の手紙は、後年もとの書棚に戻る迄、2,3の親しい友人を除いては遂に誰の眼にも触れませんでした。此の間、手に応えるより更に重い書簡の意味を思って、幾度か賢治研究で有名な人の門を敲(たた)こうとした思出はあります。けれども一言賢治を引用させて戴けば『喰われる魚』にはなり切れぬ若い自我と、我等兄弟への遺託を果すに何で他人の手が要るであろうとする自負がそれを制止しました。」

↑「喰われる魚」という庸夫氏の比喩はたいへん重いと思います。もちろんこれは、賢治の保阪あて手紙の中に書かれている譬え話で、すぐ出てこない方は、こちらを⇒:http://id43.fm-p.jp/530/giton/index.php?module=viewbk&action=ppg&stid=5&bkid=1010770&pgno=123&bkrow=0


 前後を補って引用しますと:

「食はれるさかながもし私のうしろに居て見てゐたら何と思ふでせうか。『この人は私の唯一の命をすてたそのからだをまづさうに食ってゐる。』『怒りながら食ってゐる。』『やけくそで食ってゐる。』『私のことを考へてしづかにそのあぶらを舌に味ひながらさかなよおまへもいつか私のつれになって一緒に行かうと祈ってゐる。』『何だ、おらのからだを食ってゐる。』まあさかなによって色々に考へるでせう。

 〔…〕酒をのみ、常に絶えず犠牲を求め、魚鳥が心尽しの犠牲のお膳の前に不平に、これを命とも思はずまずいのどうのと云ふ人たちを食はれるものが見てゐたら何と云ふでせうか。もし又私がさかなで私も食はれ私の父も食はれ私の母も食はれ私の妹も食はれてゐるとする。私は人々のうしろから見てゐる。『あゝあの人は私の兄弟 を箸でちぎった。となりの人とはなしながら何とも思はず呑みこんでしまった。私の兄弟のからだはつめたくなってさっき、横はってゐた。今は不思議なエンチームの作用で真暗な処で分解して居るだらう。われらの眷属をあげて尊い惜しい命をすてゝさゝげたものは人々の一寸のあわれみをも買へない。』

 私は前にさかなだったことがあって食はれたにちがひありません。」(1918年5月19日保阪嘉内宛て [63])



やはり、「喰われる魚」という比喩は、たいへん重いと思います。



庸夫さんが手紙の公表を決意されて、‘碩学’小沢俊郎氏との“共編”という形で出版されたとき、あの筑摩書房の重役は、手紙の並べ方の順序(時期の問題)などで小沢氏と意見の合わない庸夫さんに対して、「手紙の著作権は賢治の子孫のほうにある」などと言って黙らせたそうですが(もちろん、これはハッタリです。著作権の有効期間はすでに切れていたのですから‥)

嘉内とその遺族に対しても、いや、賢治自身に対しても、世の“賢治熱”が、「文句を言いながら魚を喰い散らかす人々」になっていないかどうか、つねに考えてみる必要があるのかもしれません。。。






生前の賢治自身、たとえば、出版されなかった『第2集』の「序」には、↓このような文章を用意していたのですから。。。

「けだしわたくしは〔…〕/おれたちは大いにやらう約束しやうなどいふことよりは/も少し下等な仕事で頭がいっぱいなのでございますから」








庸夫さんの手記は、上で引用したのは最初の3分の1くらいですが、今夜の引用は、このくらいにしておきます。手が疲れました。残りは、またいずれ。。。










ばいみ〜 ミ
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