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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2015/03/01(日)
「木を伐る(2)」

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こんばんは。。。








きのうの関徳弥氏の話には、たしかに具体性はありません。賢治と《宮澤閥》の関係について、あくまでも関氏なりの見方を提示しているにすぎません。しかし、関氏は賢治の従兄弟で、関氏=中学生、賢治=高等農林生の時以来、宗教的師弟のような関係で、賢治の生涯にわたって信頼関係のあった人です。少なくともある一面においては、賢治を最もよく知っていたと言えるのではないでしょうか。



さて、そうすると、「電車」の読み方ですが、《宮澤閥》の地域開発が、地元農民の田畑や山林を担保として収奪して築いた財産が基礎にあったことは疑いえないでしょう。沿線の所有山林から、じっさいに木を伐り出して枕木などにしていたかもしれない。心の中では、開発をよく思わない農民も多かったはずです。《宮澤閥》の行き方自体が、地元の父祖伝来の基盤に楔を打ち込んで成り上がって行く面を持っていたように思われるのです。
‥《宮澤閥》の各家では、息子達は東京の慶応大学に入って経済経理を学び、地元で事業家になるのが慣わしのようになっていた。それに逆らって高等農林に入ったのが賢治であり、慶応には行ったけれども、釜石に移って薬店を開いたのが“釜石の叔父”磯吉です。






しかし、「電車」をこのように理解した場合、その理解は、【第8章】の諸篇にも影響を及ぼしてきます。
《木を伐る》モチーフは、単に《熱い精神》から《冷たい精神》へ、という文学的な話の枠を超えて、ずっと具体的な社会的実質を持つことになります。「ダアリア複合体」の電球、その献策者に贈られる「青いトマト」の意味、風に荒びている《木》たち‥それらすべてが、《宮澤閥》の開発路線に対して、トゲのように突き刺さってくる、松倉山に蔵された弾薬のような不穏なものを象徴するでしょう。

そうした地元企業家閥と住民・農民たちの“一触即発”の危機的構図の中で、烏の伏兵と「雲の散兵」がどんな役割をする勢力なのかは重要です。





このような“社会的”な読みは、それをあまり性急に追いかけると、詩の本質である美的な部分を破壊しかねないので、慎重さが要求されるのですが、

最終的には、こうした方向が読み取られる必要があると考えています。(※)

《熱い精神》《冷たい精神》といったことは、‥とどのつまりにおいては、結局、そこへ達するための方法的な枠組みに過ぎない。ギトンは、そんな感じがしているのです。

しかし、方法こそ重要です。さしあたって現在のところは、やはり、《熱い精神》《冷たい精神》といった、天沢氏→秋枝氏の路線で展開されてきた道すじを、さらに進んでゆくべきと考えています。




(※)このような社会的読みを予見的に措定しておくことによって、見当違いの別の社会的読みをただす効果は、現在でもすでにあると思います。たとえば、【第8章】が書かれた1923年の関東大震災の影響ということについて、宮澤恒治(直治の子)を中心として東京方面へ消防団(自警団)を派遣する動きがあったことから、賢治もそれに刺激されたと考える向きがあります。しかし、ギトンはこの見方に対しては疑問を感じます。震災後の混乱の中で自警団が発揮した反動的・暴力的・集団犯罪的役割については、こんにち歴史として明らかになっているのみならず、同時代においても、一定の人々には自ずから感じとられていたと思うのです。たとえば、保阪は、救援隊を組織して、東京へ向かいますが、救援物資を配布し終わると、自らは離れて妹の安否を確認しに向かっています。自警団的な部分にまでは付き合えないという保阪の意志が感じられるのです。賢治についても、恒治の動きに同調したという証拠は何もありません。
 震災のような災害が起きると、集団的な動きに疑問を呈するような声は、どうしても圧殺されやすいのは、民主主義化した現代でも同じです。そうした状況の中では、ふつうならするようなことをしない、あるいは、ふつうなら言うようなことを言わないで沈黙している、それだけでも、何かを積極的にしている、主張しているのと同等に評価すべきだと思うのです。







ばいみ〜 ミ
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