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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2015/02/27(金)
「なぜミヤケン?(2)」

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こんばんは。。。





昨日のAの続きですが‥


  それと関係があると思いますが、賢治とほぼ同時に『国柱会』に入って法華経信者になった関徳彌、この人の本に出ているそうですが(その本、古書で買い求めて持ってるんですが、まだ読んでません‥)、賢治は讃美歌をよく歌ったそうです。日蓮宗の同信者の関氏とともにです。
  つまり、仏教だ、キリスト教だ、ということには、あまりこだわらなかったようなのです。仏教のほかの宗派に対しては、かなり手厳しい批判をしていたらしくて、そういう手紙をもらって悔しがったという禅宗の人やらの話が残っています。しかし、キリスト教には、寛容‥どころか、よほど関心を持っていたようなのです。
  これも、“良いものは良い”というようなこと以上に、「起源への遡行」ではないかという気がします。
  『銀河鉄道の夜』の初期形で(初期形三だったか?)、タイタニック号から来た遭難者の青年が、ほかの車両から讃美歌「主よ みもとに近づかん」が聞こえてくるのを聴いて、そちらへ行きかけようとして、また戻って座る‥という場面があります。賢治も、この青年と同じように、讃美歌の声を聴いて魂をゆさぶられたことがあるのではないか?‥そんな気がします。
  ジェイムズの『宗教的経験の諸相』という本、さいきん少しずつ読んでいるのですが、‥もっと早く読むべきだったという気がします。ギトンは、宗教関係は、どうしても食わず嫌いになりやすいのですが‥。ジェイムズの本は、もっぱらキリスト教ですが、キリスト教自体ではなくて、その「信仰」になる元のところを‥、各個人にとっての信仰の「起源」に遡って、いろいろな例を集めて書いています。こうなると、宗教の違いは関係がなくなるのかもしれません。。。






しかし、後期の宮沢賢治は、童話と比べて、詩ではあまり輝いてはいないかもしれません。『第2集』までは、第1集で取り入れたモチーフが輝きを増してきているのを見られますが、『第3集』〜文語詩になると、あまり輝かない生活の感想を綴ったようなもの、また郷土の風俗を書いたようなものが多くなって、‥賢治という人物への興味から、もっぱらそっちのほうが取り上げられることが多いので、

天沢退二郎氏などは、とし子への挽歌を最後に、賢治の詩は死んだ。。。 そのあとは詩人の余生だ、と言っているくらいです。つまり、たいした詩は書かれなくなって、童話にシフトしたということなんですが。。。



しかし、それは『第2集』以降の詩が‥あるいは『第1集』後半からしてすでに‥読み込まれてこなかったせいもあるのではないかと思うのです。。。




ただ‥やはり非常に“読みにくい”です。解かなければ分からない‥という点は、『第1集』以上ではないかと思います。そこで、解かないで常識でも何とか読める‥あるいは、読み過ごしてしまえるようなものが取り上げられて、なんとなく人生論的に読まれてきたのではないかという気がします。。。


ばいみ〜 ミ
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