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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2015/01/29(木)
「花巻・盛岡紀行───小岩井農場の馬トロ」

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こんばんは。。。







さて‥、

《聖なる地》のスロープの坂を登りきった左側に《小岩井小学校跡》──建物はそのままで、今は製材部の資材置き場にしているようです。

石碑があるので、すぐ分かります。


「すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
 ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
 またほのぼのとかゞやいてわらふ
 みんなすあしのこどもらだ
    〔…〕
 たのしい太陽系の春だ
 みんなはしつたりうたつたり
 はねあがつたりするがいい」(パート4)


小学校跡からしばらくは、できれば歩いてほしいのですが。。。、‥バス通りよりも左(西)のほう、神社の裏ッ側に、《四階建て倉庫》が、そのまま現在も倉庫として使われてます。登録文化財の案内標も立っています。


「こいつはもう
 あんまり明るい高級(ハイグレード)の霧です
 白樺も芽をふき
 からすむぎも
 農舎の屋根も
 馬もなにもかも
 光りすぎてまぶしくて」(高級の霧)



《まきば園》は、詩で言うと、入口の駐車場と《育牛部》(きのうの写真)のあいだあたりが、「パート6」(『春と修羅』補遺)で道に迷ったところ。

《まきば園》の奥に《馬(ば)トロ》の線路があって、遊覧用に馬トロを走らせてますが(↓写真)、そのさらに奥が「パート7」の舞台──《長者館耕地》です。


「(燕麦(オート)播(ま)ぎすか)
 (あんいま向(もご)でやつてら)
    〔…〕
 (こやし入れだのすか
  堆肥(たいひ)ど過燐酸(くわりんさん)どすか)
 (あんさうす)
 (ずゐぶん気持のいゝ処(どご)だもな)
 (ふう)」







バス通りに戻って、姥屋敷〜網張方面へ向かうと(まだまだ小岩井農場の敷地内)、左側に有名な《一本桜》(賢治の時代にはまだありません)、《一本桜》の丘の向こうには《狼森(おいのもり)》も見えてきます。


「向ふの黒い松山が狼(オイノ)森だ。
 実に新鮮で肥満(プラムプ)だ。
 たしかにさうだ。地図で見ると
 もっと高いやうに思はれるけれども
 たゞあれだけのことなのだ。」(パート5)



バス通りは、丈の高い松林に入って行きますが(おそろしく背の高い松の木ばかり生えてますが、賢治が来たときには、まだ幼木ばかりの小松原だったんです)、松林の中で、網張へ行く道と、姥屋敷へ行く道が分岐します(T字路,信号あり)。そのあたりが、「パート6」で、雨が降り出してUターンした場所です。


「かれ草だ。何かパチパチ云ってゐる。
 降って来たな。降って来た。
 しかし雨の粒は見えない。
 そらがぎんぎんするだけだ。
 顔へも少しも落ちて来ない。
 それでもパチパチ鳴ってゐる。
 草がからだを曲げてゐる。
 雨だ。たしかだ。やっぱりさうだ。
 降り出したんだ。引っ返さう。
    〔…〕
 さあ引っ返すぞ。こんどもやめだ。
 おゝい柳沢。
 鞍掛も見えないがさやうなら、
 引っ返せ 引っ返せ」





《狼森》を見るには、すこし戻って西に折れて、《小岩井乳業工場》の脇から眺めるのが、よく見えます。


「狼森(おいのもり)のまんなかで、
 火はどろどろぱちぱち
 火はどろどろぱちぱち、
 栗はころころぱちぱち、
 栗はころころぱちぱち。」(狼森と笊森、盗森)














ばいみ〜 ミ
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