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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2013/06/24(月)
「不良教師(5)」

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http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=166
↑クチャは、仏教を中国に伝えた西域僧クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)の出身地で、「キジル千仏洞」の前には(最近のものですが)クマーラジーヴァの銅像も立てられています。仏教徒の賢治が関心を持っておかしくないわけですが☆、
ギトンが考えているのは、少し別のことです。

☆(注) “西域三部作”のひとつである『雁の童子』に登場する童子の育て親「須利耶さま」は、クマーラジーヴァに大乗仏教を教えた須利耶蘇摩をモデルにしていると云われます

上の画像ファイルで、「キジル千仏洞」の壁画を見ていただきたいと思います。中国や日本のふつうの仏像とは雰囲気が違うと思いませんか?インドの仏像とも違います。むしろ、ギリシャやロシアのイコン(キリスト教の聖像画)に似た感じがします。
このクチャ、ヤルカンドなどの西域諸国には、もともとインドヨーロッパ系(イラン系)の住民が住んでいました。クチャで話されていた言語は、トカラ語というヨーロッパ系の言語で(トカラ語を書いたタブレットなどが出土しています)、言語学的にはインド、ペルシャよりも、ラテン、ゲルマンなどのヨーロッパの言語に近いそうです。
人種だけでなく、文化的にも、ヨーロッパを思わせる特徴が感じられるのです。画像ファイルに出したクチャ出土の「舎利容器」ですが、蓋に描かれているのは、仏教的な羽衣天人ではなく、西洋風の・羽根の生えた天使の姿です。そして、仏像とは違って、ギリシャ風に全裸です。
この「舎利容器」は、賢治の時代に大谷探検隊が持ち去って、東京国立博物館に所蔵されているものですが、賢治は、これを見た可能性があります。
賢治は、大谷探検隊がミーラン(西域東部。「西域全図」参照)で発見した天使像壁画に関心を持っていて、“西域三部作”にその影響が見られることは、しばしば指摘されます。これに対して、賢治は「舎利容器」には言及したことがないのですが、それは、彼がたくさん集めていた春画浮世絵に触れた文章が無いのと、同じことだと思います。
ともかく、賢治が、西域との関連で、裸体に近い姿の少年形の「天の子どもたち」をしばしば登場させていることには注目すべきです。
日本や中国に伝わった仏教文化の淵源と言ってもよい西域に、ヨーロッパ風の仏像、天使像が現れる不思議さが賢治を捉えたことは間違えないと思います。そして、賢治の創り上げた‘仏教離れした仏教的天上世界’のイメージに、西域の裸体天使像を見た体験が寄与していることも、考えてよいと思うのです。

さて、「小岩井農場」に戻りますと、
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=163
賢治は、向こうからやってきた農場の農婦たちを、次のように描いています:

「実にきちんと身づくろってゐる。
 たしかにヤルカンドやクチャールの
 透明な明るい空気の心持ちと
 端正なギリシャの精神とをもってゐる。
 みんなせいが高くまっすぐだ。
 黒いきものも立派だし
 白いかつぎも
 よく農場の褐色や
 林の藍と調和してゐる。」

岡澤敏男氏によると、「この〈農婦たち〉は農場傭員の家族たちでした。場主(岩崎久彌)は夫婦が共働きしやすいように「託児舎」(託児所)、「小学校」、「医局」(診療所)、桃水閣(宿泊・購買施設)を設け、さらに共済会まで組織させました。」場内産物は廉価で支給し、制服制帽、住宅のほか、自家用菜園と厩肥を無料支給、税金と電灯料の一部を農場が負担するなど、「安心して働ける生活基盤ェあったのです。〈ヤルカンドやクチャールの^透明な明るい空気の心持ちと/端正なギリシャの精神と〉を感じさせた〈農婦たち〉には、そうした背景があったのです。」
賢治が注目している農婦たちの服装も、農場が支給している花柄の小ざっぱりした仕事着でした。☆

☆(注) 『賢治歩行詩考』pp.81-82.

「端正なギリシャの精神」と言っていますが、ギリシャの古典時代の彫刻は、女性像も端正ですっきりとしています。「中性的」という評価もあるくらいです:http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=167
(つづく)
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