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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2013/06/06(木)
「税務署長の冒険(7)」

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http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1941_17444.html
http://c.fc2.com/m.php?_mfc2u=http%3A%2F%2Fwww.aozora.gr.jp%2Fcards%2F000081%2Ffiles%2F1941_17444.html
それでは、安価な酒を村民に供給して‘みんなのために’やっている密造なのか?…そうではありません。「会社」の役員におさまっている名誉村長以下、県会議員、小学校長などの‘村のお歴々’が利益を懐にすることが、この密造密売の究極の目的なのです。そのことは、『ポラーノの広場』に描かれていた「山猫博士」こと県会議員デストゥパーゴの場合と変りません。
名誉村長、村会議員らの私利追求のために、「産業組合」や村の若者たちは、ほしいままに使われ、また、村人たちも密造酒を買うことによって旨く利用されているのです。「番所」の前で署長が追い返される場面にも現れていたように、村の若者たちは、‘お歴々’の私利追求に利用されながら、密造組織をまるで我がことのように思い、真剣になって防衛するのです。それが、‘村ぐるみ’ということの本質です。
署長は密造工場に忍び込んで捕らえられ、縛られて監禁されてしまいますが、
ここが密造工場で、関係者以外は誰も知らない、誰も入って来ない場所だからこそ、監禁することができるのです。この閉鎖性は‘村ぐるみ’によって保証されています。
そして、捕らえた侵入者は、じつは税務署長だったことが発覚するや、

『いかにもおれは税務署長だ。〔…〕おれのことなどは潰すなり灼くなり勝手にしろ。〔…〕きさまたちは密造罪と職務執行妨害罪と殺人罪で一人残らず検挙されるからさう思へ。』

と署長が大見得を切ったために、村人たちは一気に激昂します:

「といきなりうしろから一つがぁんとやられた。又かと思ひながら署長が倒れたらみんな一ぺんに殺気立った。
『木へ吊るせ吊るせ。なあに証拠だなんてまだ挙がってる筈はない。こいつ一人片付ければもう大丈夫だ。樺花の炭釜に入れちまへ。』たちまち署長は松の木へつるしあげられてしまった。村会議員が出て云った。
『この野郎、ひとの家でご馳走になったのも忘れてづうづうしい野郎だ。ゆぶしをかけるか。』」

「ゆぶし」は「いぶし」の訛りで、煙の多い火で燻(いぶ)すことです。キリシタンの火炙りのように、下からじわじわと火をかけて燻製にしようと言うのでしょうw「ひとの家でご馳走になったのも忘れて」という言い方に、田舎者のいやらしさが現れています。

このような閉鎖的な農村像は、賢治作品にしばしば取り上げられていますが、
なかでもいちばんポピュラーなのは『グスコーブドリの伝記』の中で、ブドリが立ち寄った村で袋叩きに遭う場面でしょう:http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=161


『ブドリ』の袋叩き場面に出ていた‘石盤のパン’は、次の詩に基づいていると思われます:http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=162

これは、“作品日付”がないことから、1928年以後の習作と思われますが、
仲間と真夏の水田を巡検して歩いていた時に農村の老人に手酷い侮辱を受けた体験を書いています。「からだを投げておれは泣きたい」と言うほどのショックを作者が感じているのは、単に老人や荒物店主にコケにされたからではありません。彼らの冷たい態度には原因があるからです。それは、他人の農地も区別なく地域の水田の作柄を集団で視て歩くなどという・村人がしないような振る舞いを若者たちにさせている元農学教師に向けられた根強い反感なのです。
この場所は、おそらく賢治の家や「羅須地人協会」の近くで、宮澤賢治の顔はよく識られていたと思われます。賢治と知った上で侮辱を加えているのは、彼の活動に対する反感のゆえでなければなりません☆。

☆(注) 1928年の夏だとすれば、その年の「3・15事件」以来、‘賢治はアカだ’という噂も広まっていたでしょう。
(つづく)
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