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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2013/05/20(月)
「恐竜の森(4)」

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http://id43.fm-p.jp/530/giton/index.php?module=viewbk&action=ppg&stid=1&bkid=990474&pgno=16&bkrow=0
「ダブルカラー」は、カッターシャツ(ワイシャツ)などの折り襟を、色の違う布で二重にしている装飾です:http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=157
↑こちらの「ダブルカラー」の2枚目の画像を見ていただくと、襟ボタンを3個つけています。このように「ダブルカラー」は、お洒落でフォーマルな感じを与えます。ノーネクタイで身だしなみを整えるには良いのではないかと思います。
そこで、「田舎ふうのダブルカラ」とは何でしょうか?…おそらく、本来のダブルカラー(二枚襟、または付け襟)のシャツではなく、ノータイのワイシャツの襟をはだけて、上着の襟の外に出して重ねたラフな着こなし☆のことではないでしょうか?
賢治は、意外にスタイリストでお洒落だったので★、ワイシャツの襟を黄色い作業服の襟の外に出して、気取って歩いていたかもしれません。

☆(注) こういう着こなしを「襟乗せ」と云うそうです:http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=157 ところが、じっさいに着こなしてる写真となると…シナトラ、ジョン・トラヴォルタみたいなマフィア崩れのおっさんしかいないんですよねえ… いまどき流行らないスタイルなんですかね? と思ったら…ありました!ありました!…皇.太.子さまっ(^^)/ え?この方も時代遅れ?…いえ、未来を先取りしてらっしゃるんです//
★(注) 花巻農学校で宮沢賢治の同僚だった堀籠文之進氏(「小岩井農場」【下書稿】には、このあと実名で登場しますw)によると、賢治は、歌の作曲を始めたころ(この1922年3月ころ)から、「かたい感じがなくなっ」て「髪を伸ばしてポマードをつけたりし」ていたと言います(『新校本全集』第16巻(下)・年譜篇,p.236;第6巻・校異篇,pp.248f)。後世の私たちが写真で見馴れたイガクリ頭の‘無欲質実’な賢治は、あらたまったよそ行きの姿だったのかもしれません。

「陽の錯綜…光波のふるひ」は、上空の雲の動きや、地上の陽炎(かげろう)によって、ゆらゆらと揺れる明暗の錯綜した風景なのでしょう。現実の周囲の風景を描いています。
そして、101行目から眼前の風景に戻るのです:

101すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
102ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
103またほのぼのとかヾやいてわらふ
104みんなすあしのこどもらだ
105ちらちら瓔珞もゆれてゐるし
106めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
107緑金寂静のほのほをたもち
108これらはあるひは天の鼓手、緊那羅のこどもら
109 (五本の透明なさくらの木は
110  青々とかげらふをあげる)

ここに描かれている「こどもら」が、現実に賢治の出会った子どもたちだったことを明らかにされたのは岡澤敏男氏です。いま賢治が歩いているのが、農場本部から小岩井小学校の前を通ってゆく道すじであることは、詩行にはっきりと書いてあるのですから、通学の生徒たちに出会うことは当然に考えられてよいことなのです。「透き通るもの」、‘瓔珞を付けている’といった多少のモディフィケーションはあっても、じっさいに会った生徒たちの姿をもとにしていると考えるのが自然です。
ところが、岡澤氏以前には、この「こどもら」を、まったく作者の想像上の‘天の御子たち’であるとする解釈が多かったように思います
例えば天沢退二郎氏は、「このヒステリックな、なまの言葉の溢出のあげくに賢治の口をついて出てしまった『それからさきがあんまり青黒くなってきたら……』という文句〔…〕ひとたび突き当ててしまった言葉の恐ろしさが詩人の背後にひきよせたもっと不安な徴候としての幻想──『すきとほるものが一列わたくしのあとからくる』──も、もはや、詩人を不安にするどころか、ぼくらのほうを不安にするまでにかれの陽性をかりたてるのだ」(『「春と修羅」研究U』p.55)と述べておられます。子どもたちを賢治の幻覚と考えているために、幻覚を見ていることが、賢治の精神状態の「不安な徴候」だと思わざるを得ないのです。しかし、現実の風景をモディファイした詩行だと考えれば、これは精神異常でも何でもないのです
(「すあしの子どもら」へ、つづく)
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