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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2013/04/30(火)
「とびいろの脚(2)」

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http://id43.fm-p.jp/530/giton/index.php?module=viewbk&action=ppg&stid=1&bkid=990474&pgno=12&bkrow=0
前回検討した

 そのさびしい観測臺のうへに
 ロビンソン風力計の小さな椀や
05ぐらぐらゆれる風信器を
 わたくしはもう見出さない

という部分ですが、
下書稿では、観測台じたいが無い、取り壊されたと書かれていました。
ところが、↑上の初版本テクストでは、観測器械を取り外された観測台だけが有ることになっています。つまり、観測器械を取り外された「さびしい観測台」は、推敲過程で創作したフィクションなのです。
賢治は、観測器械を取り外された「さびしい観測台」を登場させて、ロビンソン風速計や「風信器」に対する愛惜☆を、いっそう際立たせているわけです。

☆(注) さらに言えば、「ぐらぐらゆれる風信器」と書かれているように、風向計は、古くなって軸に隙間ができていたのでしょう、向きを変えるたびにぐらぐらと揺れていたようです。それは、【下書稿】で、「要らなくなるのが当然だ」と言っている理由のひとつにもなるわけですが、反面、そのユーモラスな姿の思い出が愛惜をそそるのです。

こうした“modify”を、賢治の‘幻視’だと考えるのは間違えでしょう。これは創作です。詩も小説と同じように創作を含んでいます。“心象スケッチ”=現場での記録──と考えるから、実際に作者が見た光景と違うと、“幻視”だとか“幻想”だとか思わなければならないのです。“心象スケッチ”もまた、作者の自由なフィクションが可能な創作方法なのです★。

★(注) 現象学との関係でいえば、現場でメモをしたあと、それをもとにして詩行を構成し遂行して行く過程では、なまの現実は‘エポケー’されているのですから、実際に見たことと、想像や想起による創作との区別は無いのです。


07さつきの光澤(つや)消けしの立派の馬車は
 いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。
 五月の黒いオーヴアコートも
10どの建物かにまがつて行つた
 冬にはこヽの凍つた池で
 こどもらがひどくわらつた
13(から松はとびいろのすてきな脚です
  向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
15 それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
  氷滑りをやりながらなにがそんなにおかしいのです
  おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)
 葱いろの春の水に
19楊の花芽(ベムペロ)ももうぼやける……


「オリーブのせびろ」の紳士を乗せた客用馬車は、「上等のハックニー」が挽いていましたね。
さきほど、「パート三」で、松の丸太を運んでいた哀れな老牡馬を「払い下げのハックニー」にしたのは、客用馬車を颯爽と挽いていたハックニーとの対比ではないかと思うのです。賢治は、目に涙を溜めた老牡馬に、よほど強く感情移入しているようです。
つまり、‘作者の分身’が登場しているとしたら、恩田・天沢説の“黒い外套の男”よりも、この老牡馬ではないでしょうか。
「オリーブのせびろ」の紳士に焦点を当てて読んで来ると、そのように考えざるをえないのです。

そこで、つづいて「五月の黒いオーヴアコート」が出てきますが、もちろん眼前の光景としてではなく、想像上の・近い過去の光景です。
この部分は、【下書稿】では、次のようになっていました:

「黒いオーバアの人はもう見えない
 きっと本部のどの建物かにはひったのだ。
 あたりまへだが少しさびしい。」

前にも述べたように、作者は、この立派ななりの医者らしい人に対して、親愛な気持ちを抱いているのです。それですから、その姿が見えないと、「少しさびしい」と感じるのです。
そして、推敲過程では、その立派さがかえって疎ましく感じられるアンビヴァレンツな心性が強まっているのだと思います。
そのことは、初版本テクストの「どの建物かにまがつて行つた」という表現に現れています。「まがって行」く→去ってゆく、という表現に作者のアンビヴァレンツな気持ちが込められています。
これは、「パート九」第16-17行の

「……………はさつき横へ外(そ)れた
 あのから松の列のとこから横へ外れた」

という部分に照応するものです。「……………」は、名前が伏せられていますが、菅原千恵子氏◇によれば、賢治のかつての同性の恋人・保阪嘉内を暗示しています。

◇(注) 『宮沢賢治の青春』pp.173-179. なお、菅原氏も、恩田説に与して「くろいイムバネス」の男を賢治の分身と考えていますが(p.167)、しかし、これらの「黒い外套の男」や、『冬のスケッチ』に現れている「黒装束の/脚の長い旅人」(32葉)、「大きな影」(33葉)、「かれくさばたのみぎかどを/気がるにまがるインパネス」(42葉)など、この一連のモチーフは、賢治の‘分身’よりも、むしろ保阪に対する感情の投影として考察したほうが、菅原説をいっそう補強することになるのではないかと思います。
(つづく)
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