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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2013/04/29(月)
「とびいろの脚(1)」

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http://id43.fm-p.jp/530/giton/index.php?module=viewbk&action=ppg&stid=1&bkid=990474&pgno=12&bkrow=0
「パート四」に入ります。

01本部の氣取つた建物が
 櫻やポプラのこつちに立ち
 そのさびしい観測臺のうへに
 ロビンソン風力計の小さな椀や
05ぐらぐらゆれる風信器を
 わたくしはもう見出さない
 さつきの光澤(つや)消けしの立派の馬車は
 いまごろどこかで忘れたやうにとまつてやうし。
 五月の黒いオーヴアコートも
10どの建物かにまがつて行つた
 冬にはこヽの凍つた池で
 こどもらがひどくわらつた
 (から松はとびいろのすてきな脚です
  向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
15 それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
  氷滑りをやりながらなにがそんなにおかしいのです
  おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)

この部分は他でいちど扱ったことがあるので、まずそちらを見ていただきましょう:
http://id43.fm-p.jp/530/giton/index.php?module=viewbk&action=ppg&stid=3&bkid=990136&pgno=3&bkrow=0
「本部」は、小岩井農場本部(現在の名称は「管理部」)のことで、現在ある建物も、当時のおもかげを残しています☆。
木造ですが、明治時代風の洋風建物で、飾りつきポーチ、バルコニー、時計台、望楼が付いていました。「気取った建物」というのは、それを言うのでしょう。

☆(注) 賢治の当時あった建物は明治36年に建てられた2階建て木造洋風建築でした。現在ある建物は、同様の意匠を持っていますが、バルコニーと時計台がありません。

「観測台」は、1923年まで盛岡には測候所がなかったために、各地の事業所が国の依頼を受けて気象観測をしていたのです。小岩井農場では、本部の屋根よりも高い気象観測用の櫓を建てて気象観測機械を設置していました。
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=153
「ロビンソン風力計の小さな椀(わん)や/ぐらぐらゆれる風信器」:「ロビンソン風速計」は、小さなお椀(風杯)を4つ付けた風速計です★。「風信器」は風向計に同じ。

★(注) 「ロビンソン風速計」は、風杯型風速計のうち、風程(空気の単位時間あたり移動距離)を表示する方式のものを云います。当時は風杯は4個でしたが、現在では電気式になったため、動きの軽い風杯3個のものが主流になっています。

農場に残っている記録によると、この観測台は、観測方式が地上観測に変わった1921年ころに撤去され、観測器機は耕耘部構内に移されました。つまり、この「小岩井農場」のスケッチが書かれる前の年です。(『賢治歩行詩考』pp.36-40.)
賢治は、【下書稿】では、

「あすこが本部だ。観測台は無い。
 全く要らなくなったのだ。
 要らなくなるのが当然だ。」

と、そっけない言い方をしています。しかし、農場入口でもそうでしたが◇、賢治が貶すような素っ気無い言い方をするときには、その口調を言葉どおりに受け取るわけにいかないと思います。心中にはむしろ、対象に対する愛着の気持ちが隠れているのです。一種のアンビヴァレンツですね。宮沢賢治という人は、他人に思われているよりもずっと複雑な性格の人なのです。

◇(注) 「パート三」第6行「ふん いつものとほりだ」;【下書稿】「松の丸太はこゝには似合はないぞ」

その証拠は『銀河鉄道の夜』にあります:
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=152

賢治は、ロビンソン風速計の形と動きに、とくべつな愛着を持っていたのだと思います。「アルビレオの観測所」の屋上に設置された「サファイアとトパース」2つの球は、二重星(食変光星)を思わせますが、また、ロビンソン風速計の風杯からヒントを得たようにも思えます。「水の速さをはかる器械です…」という鳥捕りの説明は、検札が来たために途中で切れてしまいますが
もし最後まで説明したら、“地球から見れば、この空間全体が天の川なのだから、天の川の水とは、いま窓の外を吹いている風のことなのだ”という説明になったはずです

「さつきの光澤(つや)消けしの立派の馬車」は、駅前で「オリーブのせびろ」の紳士を乗せた馬車です。いま賢治の視界にはありませんが、‘心象’は想像された背後の光景をも含んでいます。
当時、客馬車の車庫は本部の裏手に、乗馬厩舎は200〜300m西方にありました(『賢治歩行詩考』p.41.)
(つづく)
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