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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2013/04/23(火)
「鋼青の空(1)」

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http://id43.fm-p.jp/530/giton/index.php?module=viewbk&action=ppg&stid=1&bkid=990474&pgno=9&bkrow=0

「パート三」の最初から振り返ってみると、

農場入口の注意書き→新緑のハンノキと沢の暗がり→「鳥の声」のシャワー→「飾絵」のような「並木」→「松の丸太」を積んだ荷馬車→腐植土の上のピンクの花びら→…「こんなしづかなめまぐるしさ」

というように、風景は次々にやって来てはまた去って行き、そのそれぞれが触発する気分や感情も、めまぐるしく変転してきました。

この・静寂のうちに目まぐるしく変転し消えてゆく心象が、作者の深層から引き出そうとしているものを、ここでもう一度考えてみたいと思います:

最初に戻ると、農場の入口では、ハンノキの「青い木立ち」の下で、暗がりを流れる沢水が深く淀んでいました。
このような‘明’に対する‘暗’、いわば‘負のイメージ’は、とりわけ重要だと思います。
沢水は、単に暗いだけでなく、「鉄ゼルの fluorescence(蛍光)」を発しているのでした。
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle/?no=149
↑こちらに画像を集めておきましたが、紫外線(ブラックライト)を受けてさまざまな色彩に発光する蛍光物質の光は、ぼんやりと幻想的です。
現在では、蛍光染料、傾向顔料を使って、ブラックライトの下で見るための絵画やオブジェ──蛍光アートも行われています。

蛍光アートは、これから先の未来の時代に注目されるようになるのかもしれませんね。

蛍光アートを見ていると、
宮沢賢治の次のような詩句も、‘ブラックライト’を当てて見たら別様に見えるのではないか、というような気がしてきます:

「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
 あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
 毒草や螢光菌のくらい野原をただよふとき
 おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
 〔‥‥‥‥〕
 かへつてここはなつののはらの
 ちいさな白い花の匂でいつぱいだから
 ただわたくしはそれをいま言へないのだ
   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)」(無声慟哭)

「毒草や螢光菌のくらい野原」、「わたくしは修羅をあるいてゐる」という文句も、‘ブラックライト’のもとでは、異様な植物や茸が、ぼんやりと冷たく光る幻想的な場所のように思われます。
それは、明転すれば、いっきょに「白い花の匂でいっぱい」の「夏の野原」にもなる──と読んでみたらどうでしょうか
宮沢賢治の言う「修羅を歩く」とは、そういうことなのではないでしょうか。単なるネガティブなこととして否定してしまえばそれで終りですが、その暗がりのなかに秘かに光っているものを追いかけて行けば、もっともっと深い世界を発見できるのではないでしょうか

作品「春と修羅」にも、「のばらのやぶや腐植の湿地」とともに、「心象のはいいろはがね」という表現がありました。この「はいいろはがね」は、賢治作品にしばしば登場する「鋼青の空」に通じるモチーフだと思います

「その日の岩手山は上を半分くらい雲につつまれていたが、くらい林を抜けたときに俄に空がはっきりと開け、暮れかかった秋空が兄の好きな鋼青の色に澄んで、星が一度に美しく光り出した。」(宮沢清六「麓の若駒たち」☆)

☆(注) 宮沢清六『兄のトランク』,1991,ちくま文庫,pp.24-27.

「鋼青」は賢治独特の表現ですが、賢治は、『春と修羅』初版本の表紙もこの色にしたかったようです。ギトンの初版本net再現は、背景色をこの「鋼青の色」にしています:
http://id43.fm-p.jp/530/giton/index.php?module=viewbk&action=ppg&stid=1&bkid=990475&pgno=10&bkrow=0

「こんや異装(いさう)のげん月のした
 ……………………
 青らみわたる気(かうき)をふかみ
 ……………………
 蛇紋山地に篝(かがり)をかかげ
 ひのきの髪をうちゆすり
 まるめろの匂のそらに
 あたらしい星雲を燃せ」(原体剣舞連)

1922年8月の「原体剣舞連」では、まだ「鋼青」という語は使われていませんが、この暮れたばかりの夜空の色は「鋼青」にあたるものだと思います。

「とし子とし子
 野原へ來れば
 また風の中に立てば
 きつとおまへをおもひだす
 おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
 鋼青壮麗のそらのむかふ」(風林)

やはり、「鋼青」という語は、‘妹の死’という事件を境にして現れるのかもしれません。
(つづく)
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