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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2012/07/08(日)
「悲しき天気輪(4)」

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http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=72
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=79
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=80

3月24日のスケッチ「五輪峠」と「丘陵地」を検討しましたが、
賢治は、その日は人首(ひとかべ)町の宿屋に宿泊し、翌朝の町の様子を
「人首町」というスケッチにまとめています。
そして、25日付のもう一つのスケッチ「晴天恣意」には「水沢臨時緯度観測所にて」という副題が付いています。
4行目に、

「数字につかれたわたくしの眼は」

とあり、最後の4行は

「いまやわたくしのまなこも冴え
 ふたゝび陰気な扉(ドア)を排して
 あのくしゃくしゃの数字の前に
 かゞみ込まうとするのです」

となっていますから、
暗い部屋の中で、こまかい数字の書かれた記録に取り組んでいた賢治が、
昼間の戸外(←18行目「かういふ青く無風の日なか」)に出て休憩した後、また部屋に戻って作業を続けようとしている状況と見ることができます。

副題から考えて、水沢緯度観測所でのことと思われるのですが、
賢治は、ここを訪れて、どんな作業をしたのでしょうか?数字は、何のデータなのでしょうか?

緯度観測は、昼間行なう作業ではありませんし、単に緯度観測室を趣味で見学した☆にしては、「数字につかれ」るほどデータに取り組むのは変です。

☆(注) 後代の緯度観測所長のエッセイをはじめ、多くの人は、賢治が単に見学のために訪れたのだと思っているようです。

ギトンの結論を言いますと
賢治はここで、三陸の海水温データか、水沢の気象データを見せてもらって、書き写す作業をしたのではないかと思うのです。
そして、まだ3月中の時点では、最新のデータが揃っていなかったので、4月6日にもう一度訪れた(同時に、上大内沢の生徒の実家を再訪した)──というのが、ギトンの推測です。

離れた場所のデータをオンラインで即時に見ることができる現代とは、当時はまったく状況が違います。コピー機もファックスも、青焼きコピーさえ無かったのですから、データを伝えるには、無線電信で送るか、人間が手で書き写して郵便で送る以外には手段がなかったはずです。

気象データを分析して、凶作を予想しようとしたら、まず、気象データのある場所へ行って、自分で手で数字を書き写してくるしかないのです。

その・骨の折れる作業の合間に、外に出て、種山ヶ原の上に立ち上った入道雲を見て書いたのが「晴天恣意」のスケッチだと思うのです。
(つづく)
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