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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2012/07/03(火)
「第六天の雷(5)」

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4月6日の最後のスケッチ──夜に書かれた「山火」ですが
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=82


「この夜をひと夜」と書いてありますから…
(ちゅっちゅしながら)一晩をいっしょに過ごすのだと思うかもしれませんが…

たしかに、この詩は、そう受け取られてよい詩だとは思いますが…(^^)

じっさいに、この相手とそこまでのことはなかったとギトンは考えます★☆

★☆(注) ミヤケンの詩は、「禁慾」などと書く一方で
じっさい以上にカッコつけて、性愛体験を匂わすようなことも時々書いていますが
その実それほどのことはなかったんじゃないかとギトンは見ています。いくら‘聖人’だって、セックスは相手がいなければできませんからね〜(笑)


後に述べる分析の結論を言えば
この「童子なる菩薩」は、花巻農学校の賢治の生徒で
おそらくこの3月に卒業したのだと思われます
生徒はおそらく寄宿生で(賢治は舎監を務めていました)
実家は人首町近くの部落…おそらく上大内沢にありました。
賢治は、終業式の翌日である3月24日、この生徒が実家に帰るのに同行して
岩手軽便鉄道(現:JR釜石線)の駅から徒歩で五輪峠を越え、(おそらく)上大内沢に送り届けたあと
翌日は水沢の緯度観測所を訪ねているのです。

賢治はその際、生徒との会話の中で

4月10日までなら時間があくので
また来て生徒の実家を訪ねてもよい(←ほんとはゼヒ訪ねたいw)と言っています。

ミヤケンは、ふつうの意味で禁欲的な人ではなかったと思いますが
教師、舎監のような地位を利用して宜しくやるような人でもなかったと思うので

実際には、この4月6日にも、
恋情を抱きながら生徒の実家を訪問して泊めてもらい、
生徒の親に庭の造園の相談などして帰ってきたのだと思います。
つまり…なにもなかったw

4月6日前後のスケッチが多作で
しかも破棄された沢山の習作メモがあったこと
また、花巻に帰って来てから(例の外山の種馬検査に出かけるまでは)、破毀された作品番号が多くて、拍子の抜けたようなスケッチしか残っていないことは

この恋が片想いで終ったことを示していると思います。


さて、そこで次には、問題の3月24日、その生徒とともに五輪峠越えをした日のスケッチを見て行くことになりますが…

ちょっと疲れたので、きょうはこのへんにしときたいと思います。

ところで… この話題にこの画像は、ちょっとふざけすぎかな



 ばいみー …
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