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ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

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ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2012/07/02(月)
「第六天の雷(4)」

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4月6日のスケッチBに移りましょう。
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=82

@Aふたつのスケッチからは、
かつて意欲に満ちていた学生時代の
甘酸っぱいほどの交友の記憶に引き戻されているのを
見てきました。

しかし、賢治は、この種山ヶ原〜五輪峠の高原で、はるか遠い昔をなつかしんでいただけではありませんでした。

現在進行中と言ってもよい《恋》の対象に向かって歩んでもいたのです。
Bを読むと、そのことが分かります。

B「山火」
夜になりましたが、
血紅色の焔が山の尾根に沿って滑ったり、峰から燃え上がるように感じられます。
真っ赤な夜の輝きは、太陽コロナ☆のように放射したり、
クロッカスの花☆のような吊り鐘形に噴き上がります

☆(注) 画像参照:http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=83

しかし
「焔」の血の色は心に見える色なのでして、
夜空に光はありません。
頭上の大空に
真っ暗な「恐ろしい巨きな闇の花」が開花します

その暗黒から
見えない微細なかけらが、ヒバやネズコ★の林に降り注ぎ
樹木たちは、髪を振り乱すように
鱗片葉の枝を揺らして悶えています。

★(注) いずれも針葉樹:http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=83

犬の激しく吠える声が山峡にこだまします。
つまり、今は
昼間から夕方にかけて歩いていた高原ないし大地ではなく
谷間を歩いていることになります。

後で考察することを先取りして言えば
賢治は今、五輪峠の麓の人首(ひとかべ)町付近の谷間の部落に差し掛かっているのです。
この部落には、3月24日にも訪れていて、
その時も部落の家に飼われている犬に吠えられたのでした。


夜の欲望が燃え上がっているような状況ですが、
「人々」は、
「雲に懺悔の灰☆☆をとり」
「四句誓願」★★を唱えています。

☆☆(注) 懺悔の灰:キリスト教(カトリックなど)では、復活祭(イースター)前の46日間(四旬節)を懺悔・禁欲の期間とします。四旬節の初日が「灰の水曜日」…昔は灰をかぶって懺悔したのですが…現在では教会で神父が信者の額に灰で十字を描いて「灰かぶり」に替えています。
★★(注) 四句誓願:「四弘誓願(しぐぜいがん)」のこと:
「衆生無辺誓願度
 煩悩無量誓願断
 法門無尽誓願智
 仏道無上誓願成」
大乗仏教の全宗派で、在家信徒が日常唱える文句です(唱えてますか?ww)


欲望を鎮めようとしているとも取れるのですが

しかし、ミヤケンの詩に「禁慾」という言葉が出てくるときには、
欲望を消し去るというよりも
心象世界いっぱいに欲望を押し広げて、その中に没入して行くような感じさえ受けますね

ここでも、「四句誓願」を「はるかな雷のひびきに」唱和させて唱えると言っています。
「はるかな雷」は、
同じ日のスケッチ「凶歳」で、「第六天」で鳴っていた雷と同じでしょう。つまり、《慾界》の最高位である《第六天》の雷なのです。

キリスト教と仏教がごっちゃ混ぜになっている点からも☆★、
宗教的な禁欲とか懺悔の意味で書いているのではないと思います。

☆★(注) スケッチ「凶歳」のエスペラント詩稿の
「主よ」という呼びかけも、キリスト教を意識したものです。

それから…
「ひとびとは」と書いてありますが、実質は「私は」という意味だと思います。
自分の性欲に言及するときに単数を複数にしたり人称を変えたりするのは、
賢治の詩に多い手法だと言われています。
あえて言えば
「わたくしの中にあるみんな」を、「ひとびと」と呼んでいるのです。

「まだ夜に出(い)でぬ童子」とは、童貞の男子のことを云っています。
それが「菩薩」だというのは、その男子に対する作者の深い思慕の情を表しています。短編「マグノリア」を思い出してください。

その「童子なる菩薩をたづね/しづか峡をわたって行く」
 
このスケッチだけ読んでも、賢治が夜に、恋愛対象の男子に会いに行こうとしていることは明らかです。
(つづく)
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