無料ケータイHP

ギトンのあ-いえばこ-ゆ-記(旧)

累計アクセス:500791
ここは、2015.3.10.までの過去日記倉庫です。

2012/06/25(月)
「第六天の雷(1)」

.
最初に取り上げるのは1924年4月6日の「測候所」というスケッチです
http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=70

下書稿(1)には「凶歳」の題名が付いていますが
不明の字が多いですね

賢治が下書き原稿に加えた加除訂正を戻して復原しているので
消されて読めない字があるのですよ…

ところで、賢治は、この下書稿「凶歳」を自分でエスペラントに訳した原稿を遺しています
エスペラント詩☆のほうは、【和訳】で内容を見ると
下書稿(2)にする前の下書稿(1)「凶歳」の段階で訳したようですから
このエスペラント訳によって
【下書稿(1)】の「…字不明」部分を復原することができそうです。

☆(注) エスペラント詩稿の説明http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=81

そこで、この【エスペラント詩稿】の和訳で
【下書稿(1)】「凶歳」を穴埋めしてみた結果が↓下のとおりです。[ ]が修正部分:


  凶 歳

 早池峰と栗駒山と北上川[以下約七字不明]
 [以下約九字不明]通ってゐます
     (凶作がたうたう来たな)
 杉の木がみんな[昆]布にかはってしまひ
 わたりの鳥はもう幾むれも落ちました
 そいつは[中国の Gogh ]だ
 いま雷が第六天で鳴って居ります
 百姓たちは
 うしろの丘の上にのぼってゐました
     [(列車を?]はやく[天気輪の丘に?)]
     (三月までの海温表をもってこい)


まず、最初の2行が不明字ばかりで分かりません
しかし、「早池峰と栗駒山と北上川」の3つが一望できる場所というと、賢治の住んでいた花巻の付近ではなく、もっと南の水沢あたりのように思えます。このスケッチの書かれた場所については、後でもう一度考えてみることになります

それよりも、不明字の部分ですが
エスペラント詩稿の和訳では
「主よ、高原はあんまり暗く、
 にはかに二つの氷河が現れました。」
【下書稿(2)】では
「シャーマン山の右肩が
 にはかに雪で被はれました
 うしろの方の高原も
 おかしな雲がいっぱいで
 なんだか非常に荒れて居ります」
となっていて
冷害の予兆という以上に
まるで何かただならぬ異変の起こる兆しのようです
そのような山と空の様子を表しています

したがって
【下書稿(1)】の早池峰・栗駒山・北上川についても、同じような描写があったと推定できます

なお、エスペラント詩稿の「二つの氷河」ですが、
原語 "glaciejo"(氷の場所) から考えると、山の中腹に残雪が残っているような場所を言っているのかもしれません:http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=73

ともかく、岩手県では
春先に一度消えた山々の残雪が、その後何度も復活するのは
冷害の年になる予兆だと言われています

そして、「凶作がたうたう来たな」

次の行の「黒布」は「昆布」に直しました。エスペラント詩稿では「巨きな藻」となっていますから、
「黒布」は、全集編集者が原稿の「昆布」を判読しそこねたのではないでしょうか。

「杉の木が…昆布に」変わるというのは、ゴッホ(Gogh)の絵の糸杉のように、茶褐色に枯れてしまうことを言っているのでしょう:http://blog.crooz.jp/gitonszimmer2/ShowArticle?no=73
(「中国の」ゴッホだというのは
ゴッホの絵のセイヨウイトスギではなく、日本種の‘スギ’だから)

渡り鳥の群れが次々に墜落し
「雷が第六天で鳴って」います


「第六天」は、すでに〔峯や谷は〕で説明しましたが http://kdiary1.fc2.com/cgi-bin/d.cgi/giton/?dt=20120525&rpos=3&guid=ON

魔王波旬が支配する慾界最高位の世界で
いわば魔界中の魔界といった場所です

渡り鳥が空から落ちるとか、魔界の落雷が響いて来るとか

もはや、異常気象を突き抜けて、魔性ファンタジーの世界に突入していますが

【下書稿(2)】に「炭酸表をもってこい」という文句があるところをみると

大気の成分に異常が起きて(二酸化炭素が増えて生物は呼吸困難になるとか?!)
鳥は窒息して墜落するし
人間も、丘に駆け上がって天の助け?を呼ぶ…
といった事態が考えられているのかもしれません

「列車をはやく天気輪の丘に」
は、ギトンのイタズラですが…賢治が考えたとしてもおかしくないでしょ?(^^)

しかし、最後の行「三月までの海温表をもってこい」は現実的です
賢治が盛岡高等農林で指導を受けた関豊太郎教授の冷害研究によれば
春夏にも寒流が強い年には凶冷が多いので
三陸沿岸海水温の観測によって凶作を予知できる可能性があるということでした。http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2005/moriokanou/moriokanou.htm http://c.fc2.com/m.php?_mfc2s=3881&_mfc2u=http%3A%2F%2Fwww.gijyutu.com%2Fooki%2Ftanken%2Ftanken2005%2Fmoriokanou%2Fmoriokanou.htm
http://www.reigai.affrc.go.jp/zusetu/kisyo/choki.html http://c.fc2.com/m.php?_mfc2d=qpgzai&_mfc2u=http%3a%2f%2fwww.reigai.affrc.go.jp%2fzusetu%2fkisyo%2fchoki.html
(つづく)
.

Image

ログイン


無料ケータイHP


FC2無料ケータイHP